1960(昭和35)4月、米国の人気歌手ニール・セダカが来日したとき「堀威夫とスイング・ウエスト」がバンドを務め、僕も一緒に巡業しました。
そのころ、リーダーだった堀威夫さんはホリプロを設立。「おまえ、『日本のニール・セダカ』にするから」と言われ、週刊誌などに売り込んでくれた。ニール・セダカも「Walk with me」という曲を僕にプレゼントしてくれ、7月に「二人の並木径」のタイトルでデビューしました。芸名は佐川ミツオです。
ビクターでは橋幸夫が同期。彼はデビュー曲「潮来笠」がすぐに売れたけど…。当時はもうロカビリーはすたれていて、歌謡曲の時代。しかもリバイバルブームで、僕も堀さんに「無情の夢」を歌えと言われた。戦前に児玉好雄さんが歌った曲。4枚目のシングルとして10月に出たけど、好きではなかった。
ところが、ジャズ喫茶の銀座ACB(アシベ)に出演すると、お客さんからどんどんリクエストが入る。「ああ、ヒットしてるんだな」と分かった。地方に行くと、改札口を出た途端、女学生にキャーキャー言われる。それから勘違いが起きた。ショーでは勝手にアクション入れたり客席に降りたりと派手なことした。61、62年と2年連続でNHK紅白歌合戦にも出た。モテましたね。有頂天になったね。
ただ、人気が落ちるのも早かった。病気もした。ネフローゼ症候群という腎臓病と結核で3カ月くらい入院したかな。悪評も立った。態度が悪いとか、今で言うパワハラとかで…。僕の前座をやっていた中村泰士が恵比寿のぼろアパートに住んでいて、毎晩のように2人でギター弾きながら歌い、ヒットを出そうなと話してたもんです。