この年の中日はヤクルトに連覇を許したものの、15勝11敗1分けと勝ち越した印象に残る試合として挙げたのは、意外にもこの年の初対戦。4月18日に九回2死まで4安打に抑え、勝利投手になった試合だという。
「初登板(4月13日の巨人戦で4安打完投勝利)の後に中4日で浜松で投げて勝った記憶があるんですけど。すごく調子がよかったことを覚えています」。これで勢いに乗った山本は、夏場に2試合連続完封勝利。野村もお手上げだった。
7/8(名古屋)1-0。四敗目。打てず!! 今日もシンカーを打たされる。シンカー意識過剰でストレートを見逃す、根っこ。カーブ見逃し、泳ぐを繰り返す。
8/18(名古屋)5-0。シンカーは殆ど低めのボール球。高めに目をつけ捨てる技術か、見逃すかどちらか。スピードは手ごろの上、真ん中低めに落としてくるから、どうしても手を出してしまう。
2ゲーム差で追う8月31日からナゴヤ球場で首位攻防3連戦。初戦に先発の山本は9回を投げ、2-2の九回裏に大豊が川崎からサヨナラ打。「あれもよく覚えています。逆転優勝ということで、すごく気合を入れて投げました」
1993年、力投する山本昌氏。得意のスクリューを武器に、野村ヤクルトを苦しめた翌日も連勝し、中日が首位に立った。ところが再び0・5ゲーム差で2位の9月8日、広島で練習中に外野で打球を避けた際に転倒し、右肩鎖骨骨折で離脱。山本は10月9日に復帰し、13日はマジック1のヤクルト戦にリリーフで5回を投げ16勝目。パウエルが山田からサヨナラ2ランを放ち目前での胴上げを阻止したが、2日後の15日にヤクルトのリーグ連覇が決まった。
「僕が休んだことによって、うちが優勝争いから落ちて、スワローズがノッていったことが悔しくて。7勝0敗の投手が外れたら、スワローズは喜ぶよね」
もしも離脱がなければ。違った結果になっていたかもしれない。=敬称略
★忘れられない一年
野村noteを振り返るこの連載は1993年の話。しかし、90年代の中日といえば、なんといっても翌94年の最終戦。巨人と同率首位で迎え、勝った方が優勝の10・8決戦だ。山本はブルペンで待機も出番はなかったが、30年以上経った今でも取材は多く受けるという。しかし93年の取材は「あまりないですね」と明かす。「優勝争いをして、初めて最多勝も獲得しましたし。93年の方が印象に残っていますね」と忘れられない一年だった。
■山本 昌(やまもと・まさ) 本名・山本昌広。1965(昭和40)年8月11日生まれ、60歳。神奈川県出身。神奈川・日大藤沢高から84年にD5位で中日入団。最多勝(93、94、97年)、最優秀防御率(93年)、最多奪三振(97年)、沢村賞(94年)などのタイトル・表彰を獲得。2006年9月16日の阪神戦でノーヒットノーラン(41歳36日)、14年9月5日の阪神戦で勝利投手(49歳25日)、15年10月7日の広島戦で登板(50歳57日)は、いずれもNPB最年長記録。22年野球殿堂入り。通算581試合、219勝165敗5セーブ、防御率3・45。左投げ左打ち。