ゴルフ界のドンと呼ばれた杉原輝雄さんが亡くなって10年になる。50年以上のプロ生活で国内外で通算63勝。1973年のツアー制度施行後は28勝を挙げ、永久シードも獲得した。
1997年に前立腺がんの宣告を受けたあとも手術を拒み、2009年にリンパに転移しても現役であり続けた。だが、翌年にがんは喉にも転移、11年は入退院を繰り返し、12月28日に大阪府内の自宅で静かに息を引き取られた。74歳だった。
162センチの小さな体を支えたのは人一倍の練習量だった。そして、まむしの異名を取ったタフな精神力を源とする粘り強いプレー。長い闘病生活も、まさに杉原さんの生き方そのものだったように思う。
最後の試合は10年の「ミズノオープン」。その一つ前の試合が、当時18歳だった石川遼が最終日に「58」をマークして大逆転Vを果たした「中日クラウンズ」だった。18ホールの世界最少ストロークに日本中が沸いた大会で、杉原さんも世界記録を達成していた。1960年の第1回大会から51年連続出場の大偉業。1955年から04年の「マスターズ」に出場したアーノルド・パーマ(米国)の持つ同一大会連続出場の世界記録を更新した。
主催者側がセレモニーも準備していた大会。普段以上に体調管理に努めた老雄は「自分のためだけじゃない。とにかくティーオフしないといけないと思った」と話した。試合は予選落ち。だが、第2ラウンドの11番(パー4)では2打目を直接カップインする会心のショットを披露した。最後のイーグルだった。
最晩年は石川遼という新しいスターの誕生と重なった。50年連続出場を飾った09年の「中日クラウンズ」では、その若きヒーローを引き合いに出し、ゴルフに対する変わらぬ情熱をジョークを交えて、こう話していた。
「来年も再来年もお世話になりたいと思っている。振り返ると短いけど、これから50年を考えると長いかな。これじゃあ死ねない。ちょっと老けた石川遼でした」
弱気な言葉を聞いた記憶がない。プレー後の取材もいつも立ったままだった。イスを用意しても決して座らない。「みなさんが立っているのに自分だけ座るわけにはいかないでしょう」。老雄は実にかっこ良かった。
いつの間にか取材対象者が自分の子供と変わらぬ年齢になり、今や孫の世代となった。重みのある言動で人生の先輩としての威厳を示したいが、「しんどい」「疲れた」が口癖となった自分にできることは、せめて杉原さんのような方の生きざまを伝えることだと肝に銘じている。
最後に一つ。杉原さんの経歴を確認するために、男子ツアーを主管する日本ゴルフツアー機構(JGTO)のホームページを見て驚いた。杉原さんは現在84歳で健在になっている。プロフィールにも亡くなられたことは記載されていない。鬼籍に入られて10年。至急の訂正をお願いしたい。(臼杵孝志)