技術の発達のスピードは凄まじいものがあります。そしてそれを受け取る我々の方も、そのスピードにある程度慣らされてしまいます。AIがディープラーニングをし、考え、あっという間にポロンとアウトプットしていく。こんな夢みたいなことは今や常識。リポート作成も、作文も作曲も、AIに任せればなんでも出来るし、それなりの形にしてしまう。いや、それなりどころではない。傑作が生まれるのも時間の問題でしょう。
今はそんな時代。そして誰もがそれを受け入れている時代。そんな中で、今一度、「Synthesizer V」の意義について考えました。もしこれを普通に使ったら、由実さんは歌うのを諦めて、イージーにAIで済まそうとしている、などと言われるでしょう。ついに声の出なくなった由実さんはAIに頼った、みたいな。
それはないな…と思いました。この究極的なテクノロジーは、作品作りの初めから生かさないと意味も意義もない、と。
そして、当然のことながら、これまで通りの由実さんの歌がメインにならないとアルバムとしての価値はない、と。
こうして辿り着いたのがワームホールという考え方でした。実際にあるかどうかも分からないワームホール。でも、もしあるとすれば過去と今を行き来出来ると言われます。この考えを心のどこかに置きながら曲を作り、音を作り、そして詞を作れば、「Synthesizer V」との共存は出来るはず。
作った声と今の声とをうまく共存させて面白いアルバムが作れるはず、という確証を持ち、Synthesizer Vと我々の制作プロセスを「Chrono Recording System」と名付けました。時間を超えて音を記録するイメージです。
考えてみれば70年代後半から80年代というのは、生楽器の中に少しずつ、シンセサイザーが楽器として忍び込んでいった時代でした。そして気がつくとテクノサウンドあたりからはシンセサイザーが表舞台に立っていった。もしもそれをこのAIテクノロジーで例えるなら、ボーカロイドなどが当てはまるのかもしれません。その後のテクノサウンドはどうなっていったか、と言えば、それは形を変えながら静かに今の音楽にまで染みこんでいった、と言えるでしょう。まるでウイルスのように。そこには変わらず進化を求める音楽そのものの姿があります。
誰にでもインスタントに音楽が作れる時代。それだからこそ、最新のテクノロジーと共存するためには、その原点となる発想と共存出来なければ我々には意味がない、というのが僕の、少なくともたった今の結論です。
松任谷正隆