――藤田さんの教えで大切にすること
「六大学野球は試合では勝敗はつくけど、勝ち負けの世界じゃない。勝っておごらず、負けて腐らず。絶えず相手をリスペクトしながらというのは、法政だけでなく、各大学がそうなんじゃないかな。(東京六大学が)『共存共栄』といわれるのはそういうことなのかな」
法大時代の小早川毅彦氏(1981年10月25日撮影)――東京六大学が100周年を迎えた
「伝統は感じる。何よりも、土日に神宮球場を優先的に使えるのは、すごくぜいたくなこと。応援団、ブラスバンド、チアリーディングが一体となって、観戦にきた学生たちをリードしてくれて力になる。ありがたかったよね。卒業してからより恵まれているなとありがたみを感じる。100年歴史をつないできた先輩方に感謝しないといけない」
――OB会長として現在の学生をどう見る
「今は昔と比べて大変。大学生だから当然なんだけど、どの学校も授業が優先。しっかりとスケジュールを立てて、授業、練習など日々の生活を送っていかないといけない。私らの時代は練習だけ考えてやっていたからね。スケジュール管理が大変だと思いますね」
――これからの100年へ
「やっぱり盛り上がっていてほしい。(各校が)同じ大学の学生たちにしっかりと応援してもらえるようなリーグであってほしいと思います」
――小早川さんにとって東京六大学野球とは
「私にとっては、唯一無二だし、自分の家なのかなって感じがするね。そこから巣立っていった。野球はもちろん、人として成長させてもらったと思います」
――東京六大学野球でプレーできてよかった
「生まれ変わったとしても大学にいく。大学でしか味わえない経験があるので。もう一回、人生をやっても東京六大学野球を選ぶかな。今度は東大にいくかもしれないけど(笑)」
■小早川 毅彦(こばやかわ・たけひこ) 1961(昭和36)年11月15日生まれ、63歳。広島市出身。大阪・PL学園高では2年春、3年春の甲子園に出場。法大では1年春から4番を務め、4度の優勝に貢献。84年ドラフト2位で広島に入団し、新人王。主砲として活躍するも96年オフに戦力外通告を受け、ヤクルト移籍。97年開幕戦で3打席連続本塁打を放った。99年限りで引退し、解説者などを務め、2006-09年は広島の打撃コーチ。通算1431試合に出場し、打率・273(3997打数1093安打)、171本塁打、626打点。183センチ、93キロ(現役時)。右投げ左打ち。
★法大野球部
1915(大正4)年に正式に発足。17年にのちに東京六大学野球連盟となる、早大、慶大、明大による四大学リーグに加盟した。30年秋にリーグ初優勝を飾り、歴代2位の46度の優勝を誇る。全日本大学野球選手権は最多8度の制覇。ユニホームはアイボリーの地に、胸に紺色で「HOSEI」の文字が入っている。グラウンドは神奈川・川崎市木月に位置する。大島公一監督。