2003年アテネ五輪アジア最終予選で指揮を執る長嶋監督 その後、08年北京五輪では星野監督も金メダルに挑んだが、届かなかった「闘将」とうたわれた星野仙一さんが亡くなって4年7カ月の月日が経つ。中日、阪神、楽天を優勝に導いた星野さんに心残りがあったとすれば、それはオリンピックではなかったか。
2008年北京大会、監督として金メダルを目指しながら準決勝で韓国に敗退。3位決定戦でも米国に敗れた。「こわもて」で通りながら「情の人」でもあった星野さんの、情の深さが4位敗退の原因だと批判された。
侍ジャパンの稲葉篤紀現監督はその時の代表選手。監督就任後、星野さんの墓前で北京以来13年ぶりに復活したオリンピックの優勝を誓った。
4日、韓国と準決勝を戦う。勝ち抜けば決勝は米国か、また韓国か。無念を晴らしたい。
その星野さん以上に、「オリンピックと野球」に思いを致すのが長嶋茂雄さんである。(※参照https://www.ssf.or.jp/ssf_eyes/history/olympic_athlete/28.html)
7月23日の開会式。松井秀喜さんに不自由な体を支えられて、僚友の王貞治さんと聖火ランナーを務めた。85歳。2004年アテネの開幕4カ月前、脳梗塞で倒れた後遺症といまも闘う。
アテネは指揮を中畑清監督代行に委ね、ユニホームと左手で「3」と書きいれた日の丸だけが戦況を見守った。結果は銅メダルに終わった。
野球は1992年バルセロナがオリンピック初開催。公開競技だった84年ロサンゼルスで金、88年ソウルは銀メダルを獲得したが、その後は銅、銀、4位。プロ選手で日本代表を固め、長嶋、星野監督で必勝を期したが…。
東京は新型コロナウイルス禍の変則開催で、キューバも台湾もいない。それでも、金メダルは日本プロ野球の悲願である。
この記事をシェアする