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【球界タイムスリップ】中日・工藤公康新監督が40年前に起こした奇跡 史上初の日本シリーズ第8戦が実現

1986年の日本シリーズ第5戦。西武・工藤公康は延長十二回にサヨナラ二塁打を放ち舌を出して大喜び。右は伊原春樹コーチ

【伊藤英慈の独り言】日本シリーズが開幕した。DeNAの2年ぶり制覇か、ソフトバンクの2年連続か。いずれにしても日本一を決めるにふさわしい激闘に期待したい。

1950年の2リーグ分立以降、毎年行われている日本シリーズ。激闘といえば、過去に1度だけ第8戦までもつれた86年の広島VS西武をおいてほかにない。このほど中日の新監督に工藤公康氏が就任したが、その工藤のためにあった日本シリーズといってよかった。

工藤公康は「イチ、ニのサンで振ったら」サヨナラ二塁打に。投手・津田恒実、捕手・達川光男

西武担当として張りついたこの10日間は忘れることができない。スケールの大きい若手左腕を目の当たりにする。西武は第1戦に引き分けたあと3連敗。あっさり終わってしまう…と思ったらとんでもない。これがドラマの始まりで、本拠地の第5戦で奇跡の扉を開けたのが当時23歳の工藤だった。

1-1の十回から登板すると無失点投球を続け、十二回1死二塁で打席が回る。隔年のDH制(当時)はこの年は採用されていない。残り投手と工藤を比較した森監督は、代打を送らずさらなる延長を覚悟した。すると、広島の守護神・津田恒実から「イチ、ニのサンで振った」という右翼線二塁打だ。日本シリーズにおける投手のサヨナラ安打は、58年に西鉄・稲尾和久が放った本塁打以来で28年ぶり2度目だった。

工藤は広島に戻った第6戦も七回から出てきて無失点セーブ。史上初の第8戦でも2回無失点セーブで胴上げ投手になった。崖っぷちからの4連勝。第2戦の7回2失点は実らなかったが、1勝1敗2セーブでMVPに輝いた。

3連敗から奇跡の4連勝。史上初の第8戦で胴上げ投手となった工藤公康(中央)は捕手の伊東勤と抱き合って喜ぶ

愛知・愛工大名電高から入団5年目。前年に最優秀防御率の初タイトルを獲得した。この年は故障に苦しみながらも初の2桁11勝をマーク。リーグ優勝でも完封で胴上げ投手になっていた。第5戦のサヨナラ打のあとのコメント「ウチはあとがない。先発でも抑えでも何でもいきますよ」の有言実行。リーグを代表する投手に巣立っていくときというのは、こういうタイミングなのだろうと思った。

さて、史上初となった第8戦は、工藤のサヨナラ打&快投がなければ実現していない。その第8戦は、第7戦のあと移動日はなく引き続き広島市民球場で行われた。チケットの販売要項は第6戦の日に発表され、午前8時からの当日販売に限定された。その影響もあってか、広島開催はそれまで4試合とも2万6000人以上の観衆を集めたが、第8戦は1万6828人にとどまった。


工藤公康は日本シリーズMVPに。副賞の車の前で記念写真に収まる

広島球団では、第1戦の引き分けで第9戦チケットも発注してあったという。「シリーズ開幕球団はあらかじめ第8戦までチケットを準備する義務があるんです。引き分けが発生した時点で第9戦も作るわけです」と担当者。第8戦が行われたゆえ、こんなことも勉強になった。

3連敗からの4連勝は西武の前身、西鉄が58年に遂げて以来2度目。歴史は繰り返された。その後の89年の巨人を含めて3例しかない。そして第8戦まで及んだケースはこのあと39年間ない。

「ビールかけ会場に行け!」。デスクの指令が飛ぶ。広島グランドホテルに急いだ。工藤がビールの泡にまみれる。当時は全て午後1時プレーボール。締め切りまで時間は十分ある。会場の隅で原稿用紙(当時PCはない)を取り出し、落ち着いてMVP男の原稿を書いた。雑用だらけ?の毎日で初めて署名入りの記事を書いた。

新人記者が挑んだ初めての日本シリーズ。一番の衝撃は同じ1963年生まれの左腕がとてつもなく大きく見えたこと。40年前の工藤が「諦めないこと」を教えてくれた。そして2027年、6年連続Bクラスの中日に、どんな奇跡が起こるのか見てみたい。(敬称略)

■伊藤 英慈(いとう・えいじ) 1963年生まれ。86年サンケイスポーツ入社。西武、横浜(現DeNA)、ヤクルト、アマ野球などを担当。巨人は第2次藤田政権、第2次長嶋政権で計6年間担当。元野球殿堂入り競技者表彰委員会幹事。法大野球部OB。本紙専属評論家の江本孟紀、小早川毅彦の両氏は一生頭が上がらない大先輩。コンテンツビジネス局ニュースコンテンツ部嘱託。

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