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巨人・松井監督就任の背景 心に決めていた…高橋由伸氏、阿部慎之助氏より先に務める資格はない

10月23日、巨人の新監督就任会見で決意を述べる松井秀喜氏

巨人・松井秀喜新監督(52)の電撃就任は、プロ野球界に衝撃を与えた。1994年に巨人、2003-12年に米大リーグ・ヤンキースなどで松井氏を取材したサンケイスポーツの田代学ゼネラルプロデューサーが、就任の背景や指揮官としての可能性をひもとく。

松井監督誕生の可能性が高まったと感じたのは、今年5月の阿部慎之助前監督の辞任だった。

松井氏は23日の監督就任会見で、大リーグ挑戦を表明した24年前の会見との違いをこう語った。

ユニホーム姿を披露する巨人・松井秀喜新監督

「今から24年前、自ら決意して、ジャイアンツを去るときのことを思い返していまして、あの日は全く笑顔を出すことができませんでしたが、きょうは満面の笑顔で自分のふるさとに戻ってきたつもりです」

松井氏は長年、球団やかつてのチームメート、ファンに対して「自分は裏切り者」という負い目を抱えていた。実際に2002年11月、大リーグ挑戦を表明した会見では「何を言っても裏切り者と言われるかもしれませんが…」と発言。「僕のわがままを許してくれるかは分かりませんが、いつの日か『行ってよかったな』と思われるよう、命を懸けて頑張りたい」とまで悲壮感を漂わせて巨人に別れを告げていた。

その自分が巨人を去った後、中心選手としてチームを引っ張ったのは高橋由伸氏と阿部氏。伝統球団の重圧や責任の重さを心の底から知っているからこそ、生え抜きの後輩2人より先に監督を務める資格はない-。思慮深い松井氏は、そう心に決めていた。

高橋氏が16-18年に監督を務め、阿部氏が今季途中でユニホームを脱いだ。監督就任への〝わだかまり〟はなくなり、あとは米国にいる家族の理解次第の状況になっていた。

監督としての方針は、就任会見で口にした「選手とともに伴走し、一緒に成長していきたい」という言葉に集約されるだろう。


松井秀喜監督はヤンキース時代の2009年ワールドシリーズでMVPに輝いた

巨人では不動の4番打者だった松井氏だが、大リーグでの晩年は苦境に立たされ、何度も苦い経験を味わった。

ヤンキースで日本選手初のワールドシリーズMVPを受賞した09年でさえ、レギュラーシーズン中は左膝痛の悪化防止を理由にDHに専念。DH制のないナ・リーグとの交流戦ではスタメンから外された。翌10年に移籍したエンゼルスでは巨人1年目以来となる代打を送られ、最後に所属したレイズでは背番号35でマイナーリーグからスタートした。

こうした経験から学んだのは監督と選手のコミュニケーションの重要性だろう。最近は変わりつつあるとはいえ、日本球界はトップダウン(上意下達)体質。一方、大リーグでは監督やコーチが試合の前後に起用法などを選手に説明するのが一般的だ。監督室のドアが開いていれば、選手が采配などについて直に質問することが可能。ヤンキースGM付特別アドバイザーとしてマイナーリーグの巡回コーチを務めたことで、松井氏の「人心掌握術」の知見は深まっているはずだ。

本人も自覚しているように采配は未知数で、試合の流れを読む勝負勘を取り戻すのも時間がかかるだろう。だが今は、どんな監督像を描くのか楽しみでしかない。

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