パレードに参加したフィギュアスケートの「りくりゅう」こと三浦璃来、木原龍一組ら=25日午前、東京都中央区 「浦島太郎さんが生きていたら、こういう気持ちなのかな」。2月のミラノ・コルティナ冬季五輪の閉幕直後。帰国して会見したフィギュアスケートの「りくりゅう」ペアの木原龍一さんは、フィーバーに沸く日本国内のすさまじい熱気に触れ、ユーモアを交えながらこう発言した。
その言葉に共感したことを覚えている。イタリアで取材していた1カ月間、今回の五輪が日本国内でどれほど注目されているのか、正直つかみきれなかった。何かと多忙な五輪期間中に、日本の情報に触れる機会が自然と減る異国で長く過ごせば、どうしても〝体感〟として世間の熱を感じ取ることは難しくなっていく。
だからこそ、25日に東京・日本橋で開催された冬季五輪初のパレードは、選手にとってかけがえのない瞬間になったのだろうと想像できる。閉幕から2カ月がたっていたが、大通りの沿道には主催者発表で5万人が集結。選手たちは、テレビやSNSを通して受けてきたであろう声援を、実際に目と耳を通して、全身で感じていた。木原さんとペアを組む三浦璃来さんは「たくさんの方に応援され、支えられていることを痛感した」。取材に応じたほとんどのアスリートが、この貴重な機会に感激していた。そのことは、表情を通しても伝わってきた。
五輪の日本選手団のパレードは、2012年ロンドン大会後にメダリストのみで初めて実施された。そして、ミラノ・コルティナ大会で、ついに冬季五輪でも開催に至った。会場となった東京・日本橋は多くの企業や商業施設が密集しているエリア。大通り約700メートルを一時的に封鎖して、安全にパレードを完遂するために、どれだけの準備が必要だったか。警察や行政、企業などを含め、裏で多くの人が時間をかけて奔走していたことは間違いない。
そのおかげで、日の丸を背負って戦い抜いたアスリートたちは、かけがえのない瞬間を味わうことができた。そこで感じた声援は、きっと次の4年間を過ごしていく原動力になるはずだ。冬季五輪でも、これからもパレードが続いてほしい。そう願う一日だった。(鈴木和希)