パチパチパチ…。還暦虎番の三木建次はいつも頭の中でソロバンを弾いている。普段、入稿してくる原稿は数字のミスが多いのに…お金の計算だけは正確。記憶力もバツグンだ。
早朝に広島駅から新幹線に乗り、尼崎市内の2軍施設「日鉄鋼板SGLスタジアム尼崎」に移動。渡辺2軍投手コーチから「何しにきたの?」と冷やかされながら先発投手陣の練習を取材。「広島が曇り空やったから今、暑くてたまらんわ!」。顔どころか全身に大粒の汗をかきながら得意分野を熱弁してきた。
「今年、阪神は1億円プレーヤーがめちゃくちゃ増えるやろうな」
球団関係者と雑談するとき、いつもこんな話題を持ち掛けるそうだ。あくまでも推定だが、今、阪神で年俸1億円以上は11人(外国人を除く)。これはソフトバンクの12人に続き、12球団で2番目に多い。村上(8000万円)石井(8200万円)森下(7800万円)らが加われば…。三木は自分に1銭も入らないというのに、早くもソワソワしているという。
阪神で初めて1億円プレーヤーになったのが、1995年の和田豊。粘っこい打撃と、堅実な守備で暗黒時代を支えた。その頃、夕刊フジの記者だった三木は選手が契約更改交渉前に臨む前の〝弁護士〟を務めていた。
「三木さん…A選手はいくらやった?」
「僕、どれぐらい上がりますか?」
昔、球団事務所は甲子園のセンターバックスクリーン付近にあった。選手は自ら車を運転して、球場外周に止めて、時間がくるまで近くの喫茶店で待つ。そこに三木が鎮座していたというのだ。
「特にリリーバーは恵まれなかった。新聞にも大きく載らないからな」
名将野村克也監督が2000年に繰り出した葛西-遠山-葛西の〝野村スペシャル〟あたりから救援陣が存在感を示すようになり、評価が高まってきたという。三木は自分の援護射撃のおかげだといわんばかりの表情で感慨深そうだった。
入社3年目の虎番、中屋友那は広島駅から移動する選手を取材し、帰阪。「契約更改取材で選手のスーツ姿を見るのが僕、好きなんです。スーツの色だったり、個性が出るし、選手がわかりやすくキメてくる日かな、と思います。ザ・プロ野球選手という感じで」。普段のユニホーム姿ももちろんいいけど、最近は移動の服装も自由の幅が広がった。確かにオフの晴れ舞台は契約更改だ。
「大台に乗りましたか?」
報道陣からは、この質問が飛び交うだろう。普段、金額の詳細について聞かれても「ご想像にお任せします」とか「それは…ちょっと」という選手でも、年俸1億円を突破したかどうかについてだけは、ちゃんと言う選手が多い。昔、岡田彰布監督が三木ら虎番を前に「おぅ…○○(選手の名)、1億円いっとったで。電話、あったわ、『監督、ありがとうございました』って…え、知らんの?」と暴露したこともあったけど…。やはり1億円プレーヤーは相当なステータス。そして、ドラフト戦略成功の証し。バラ色のオフへ、虎戦士よ、スパートだ!