■8月12日 日本のサッカー史上最高のストライカーで10日、肺炎のため81歳で亡くなった釜本邦茂さんは野球少年だった京都の小学校時代はプロ野球選手に憧れていた。中学に入り「サッカーなら世界中どこでも行けるし、五輪にも出られる」と誘われサッカー部に入ったが、好きな阪神は大人になっても応援していたという。
1995年の参院選で釜本さんは当時自民党幹事長だった森喜朗元首相のオファーを受け、比例区から当選し1期務めた。このとき、92年初当選の先輩議員に江本孟紀さん(当時自由連合=現サンケイスポーツ専属評論家)がいて「日本のスポーツ予算は少ない。国家のためにもスポーツ振興を」と訴えていた。
元阪神の投手と往年のストライカー。「党も違うので飲みに行ったりはなかったけど、釜本さんは阪神ファンだったので話は合った」と江本さんは振り返る。「国会では新人でも言動には風格があった。身長は私(188センチ)の方が高いはずだが、オーラがあって大きく見えた。さすがに〝世界のカマモト〟と感じ入った」。
2期12年の在籍中、江本さんの最も大きな仕事になったスポーツ振興くじ(toto)創設に大きな力となったのが釜本さんであり、当時の川淵三郎チェアマンでもあった。釜本さんはその間、日本協会の役員として02年日韓W杯に向けた強化にも携わっており多忙をきわめたようだ。
法案成立まで5年もかかり01年に発売開始したtotoの売り上げは毎年1000億円を超え、スポーツ団体や大会を助成している。江本さんはいった。「日本のスポーツ界全体のために議論を重ねてくれた釜本さんの真剣な表情を思い出す」。ご冥福をお祈りする。(今村忠)