「ザ・バーシティー・マッチ」出場経験のある岩渕健輔氏 【ノーサイドの精神】
ラグビーがこの世に現れて150年以上。長い歴史を誇る定期戦が催されてきたが、そのうちの一つであるケンブリッジ大-オックスフォード大の「ザ・バーシティー・マッチ」がこのほど、ワールドラグビーの殿堂入りを果たした。
「バーシティー」とはユニバーシティーの略。大学同士の対抗戦だが、「The」がつくと、ともに英国の名門であるケンブリッジとオックスフォードによる伝統の対決となる。両校の定期戦の歴史は1872年に始まった。当時は1チーム20人で編成したという。この試合はオックスフォードが勝った。今年は3月25日に聖地・トゥイッケナムで行われ、15-10でケンブリッジが勝利した。これを含めて141戦行われ、ケンブリッジの65勝14分け62敗となっている。
ケンブリッジのジャージーが水色と白の段柄、オックスフォードが紺色のため、この定期戦に出場した選手は、敬意をこめて「ブルー」と呼ばれる。日本人でもLO林敏之(オックスフォード)、SO岩渕健輔(現日本協会専務理事、ケンブリッジ)、NO・8箕内拓郎(オックスフォード)、NO・8土佐誠(オックスフォード)らがブルーになっている。
日本とのつながりも深く、筆者より年長のオールドファンなら、ケンブリッジ、オックスフォードの響きに懐かしさを感じるかもしれない。第2次世界大戦後、日本に初めて訪れた海外のチームがオックスフォード。1952(昭和27)年9月に来日し、日本代表とも2試合して35-0、52-0と圧倒して帰っていった。翌年にはケンブリッジも来日し、日本代表に2戦2勝した。両校の来日は戦後の日本ラグビー復興への大きな手助けとなり、戦争で戦った英国から迎えるという意義もあった。
59年には両校がそろって来日し、連合軍をつくって(漢字では「剣牛連合」と書いた。ケンブリッジを「剣橋」、オックスフォードを「牛津」と書いたことによる)日本代表と2戦して蹴散らした。日本代表が初めて勝ったのが75年3月。2度目の来日だったケンブリッジを国立競技場に迎え、16-13で競り勝った。88年10月のオックスフォード戦まで、この両校との対戦はキャップ対象試合として記録された。11回対戦して日本代表の1勝10敗。今では考えられないが、当時の日本と外国チームの差は、こんなものだった。(田中浩)