大阪市内のホテルでの中村紀との極秘交渉はマスコミの目を避けるため、知人が運転する車のトランクに身を隠した。ペタジーニには渉外担当を派遣し、直接交渉を命じた。「こういう時は攻めるのが一番。攻めまくるんや」。その一方で重い腰を上げる素振りを見せることもある。
阪神のSD(オーナー付シニアディレクター)をしながら日本代表監督を務めていた07年10月。12月に台湾で行われる08年北京五輪のアジア予選に向け、神戸で合宿中だった。メンバーにFA権を獲得していた広島・新井がいた。「相談があります」。そんな言葉に部屋の扉を開けた。新井は緊張のあまり話さない。「タバコは吸うのか。じゃあ俺のを吸えよ」。ようやく口が開いた。
「阪神に移籍するかどうか迷っているんです。どうすればいいでしょうか」
「今は日本代表監督なんや。そんな俺が一選手に、アドバイスできると思うか」
見ればタバコを持つ新井の手がかすかに震えている。
「じゃあ1分だけ、代表監督やなくて、阪神のSDになる。カネ(金本)も悩んだ。俺も悩んだ。2人とも悩んだ末に前に出た。2人とも今は後悔してない」。翌日、新井から電話が入った。「お世話になります」。硬軟織り交ぜた星野マジック。その妙味もまた闘将の魅力だった。