エリート街道を歩んできたわけではない。大阪・上宮高時代は3番手投手。専大で肩痛に悩み、プロ1年目には2軍で1イニング10失点の屈辱も味わった。不断の努力の末、日米でエースの称号は得たが、悔し泣きした過去を忘れない。いまも登板の度に9分割の配球チャートをノートにつけ、予習復習。愚直に野球と向き合ってきた。
「広島で野球をするほうが、より1球の重みが感じられると思った」-。14年オフに米球団からの20億円以上のオファーを蹴り、8年ぶりに単年4億円で電撃復帰した理由だ。球団の2年契約の提示を拒み、「1カ月契約」を提案したのも結果が出なければ、即引退の覚悟で古巣のユニホームに袖を通したかったから。この2年間、49試合で4844球を投げ、優勝の重みを感じ取った。
「夢のようで、ちょっと出来すぎ。まさかこういう結末が待っていると思っていなかった」
周囲の恩義を大切にし、応えるうちに「男気・黒田」が定着した。9勝目を挙げ、ドジャース時代からの7年連続となる二桁星に王手をかけたが、11日に登録抹消され、リフレッシュを図る見通し。個人記録は二の次。32年ぶりの日本一へ、チームのためにマウンドに立ち続ける。