■6月16日
偉大な記録は前記録保持者にスポットライトを当てたり、懐かしい記憶を呼び起こしたりしてくれる。米大リーグ、エンゼルス・大谷翔平のサイクルヒットで思い出したのは、25年前の富山の暑い夏だった。それも「達成」ではなく、「サイクル逃し」を記事にした。
メジャーで11度サイクルに王手をかけて達成できなかったイチローのオリックス時代。1994年8月24日、立山を望む富山アルペンスタジアムのロッテ戦だ。中越え二塁打、右翼本塁打、遊撃内野安打、右前打で迎えた第5打席、榎投手の4球目をライナーで左前へ運んだ。
前進した左翼手ミューレンはグラブの土手に当てて捕れず、イチローは楽々三塁へ。ベース上に立つイチローをはじめ、球場の全員が注目する中、ひと呼吸置いてスコアボードに「E(エラー)」ランプがついた。黄ばんだスコアブックにコメントが並んでいる(肩書は当時)。
「ああいうときは『照明に入った』とか(でヒット)にするとファンも喜ぶのに。アウト、セーフの判定じゃないんだから」(仰木彬監督)「サイクルは知っていたけど出せなかった。察してください」(梅田英夫パ・リーグ公式記録員)。そしてイチローは「ミューレンも難しそうに捕ってくれたらいいのに(笑)。ちょっと…クソー、悔しいな。でも悪くないです」。
130試合で210安打を放ったシーズンの101試合目。打率は第4打席で・3967。最後もヒットなら・398だった。サイクル逃しより、当時は100試合を超えての打率4割が注目されていた。まだ20歳。サイクルはそのうちやると誰もが思っていたからだ。運も持っていた大谷君、本当におめでとうございます。(親谷誠司)