1年目に22勝を挙げた木田氏(左)。ダンカンは、その左腕の感触を確かめた (撮影・山口泰弘)
ギャラリーページで見る 昭和を彩った名バイプレーヤーを訪ねる「昭和の侍」第4回は、日本ハム、大洋、中日でプレーした木田勇さん(65)。1980(昭和55)年に当時21歳の俺は、野球好きが高じて後楽園、神宮、横浜で弁当やホットドッグなどの売り子のアルバイトをして、年間プロ野球生観戦200試合を達成。とりわけ強く記憶に残っているのは、ルーキーで22勝を挙げた木田さんの圧巻のピッチングだったのだ。
あの年のあの男のことは、40年過ぎようとしている現在でも俺は明瞭におぼえているのだ。
なぜならあの年21歳の俺は、野球好きが高じて後楽園(巨人、日本ハム)、神宮(ヤクルト)、そして落成されまだ数年しかたっていない横浜スタジアム(横浜大洋)で弁当やホットドッグなどの売り子のアルバイトをして、年間プロ野球生観戦200試合を達成したのだ。
そんな中でとりわけあの男が記憶に強く残っているのは、ルーキーでありながら22勝8敗4セーブの成績を挙げ新人史上初のMVP(最優秀選手)、最多勝、最優秀防御率、最高勝率、最多奪三振、新人王、さらにはベストナイン、ダイヤモンドクラブ賞(現ゴールデングラブ賞)と賞を総なめにしたその圧巻のピッチングもあるが、それ以上に個人的にはそれまでパラパラのスタンドだった日ハム戦に、あの男により大観衆が詰めかけ、それにより巨人戦同様の高いバイト代を手に入れることとなったのだ。
「どうもダンカンです。あの頃はバイト代ありがとうございました」と、とんちんかんなあいさつをする俺に、あの男は65歳とは思えない現役さながらのスリムな身体をピンと伸ばすと、精悍(せいかん)の中に優しさが漂う表情で「はじめまして、木田勇です」とちょっぴり照れたあの男がいたー!!