10日に81歳で死去したサッカー元日本代表の釜本邦茂(かまもと・くにしげ)さんの通夜が12日、大阪府内でしめやかに営まれた。日本サッカー協会の宮本恒靖会長(48)や元日本代表の永島昭浩氏(61)ら関係者約200人が参列し、故人との別れを惜しんだ。後日、お別れの会が開かれる予定。
祭壇に設けられた思い出の品々=大阪府吹田市内白を基調にした祭壇には、満面の笑みの釜本さんの遺影が飾られていた。1984年の引退試合の際、駆け付けたブラジルの「王様」ペレに肩車された写真や、得点王となり銅メダルに貢献した68年メキシコ五輪でゴールを決める写真などが飾られ、〝世界の釜本〟の功績が並べられた。
通夜では喪主を務める長男・達生さん(61)が「約3年前に体調に異変を感じ、弱いところを見せるのが大嫌いな父だったので、詳しいことをお伝えすることができませんでした」と涙ながらにあいさつ。「あまり家では喜んだところを見たことがなかったが、2006年ドイツW杯で『よかった。俺が教えた子供たちが活躍したんや』と喜んでいた…」と言葉を詰まらせた。
Jリーグ元年の93年に釜本監督率いるG大阪でプレーした永島氏は、練習中に実演してもらったシュートが忘れられないという。「『簡単や』と目の前で打っていただいた。弓なりで6割ぐらいの力でしたが、僕よりもスピードがあって精度が高かった。後にも先にもあんなシュートは見たことがない。これが世界なんだ」と懐かしんだ。
日本協会の宮本会長は2024年の就任の際に「若いけど大丈夫か」と声をかけられたという。「釜本さんが常に発信されている『いかに点をとるか』。(代表でも)ゴールの部分は大事にしていきたい」と誓った。
国際Aマッチ歴代1位の75得点を誇る不世出のストライカー。引退後は育成に尽力し、サンケイスポーツでは評論家も務めた。「サッカー選手の英雄として試合を勝利へと導き光り輝く記録を残し、また指導者としても選手を教え導いた人」として、授かった戒名は「本徳院英輝勝翼邦教居士」。会場には各界からの花がたくさん飾られ、親交のあった俳優の松平健(71)らも参列。釜本さんが残した多大な功績、慕われた人柄を物語るようだった。
■最初に名前を覚えたサッカー選手が…■
取材に応じる前園真聖氏(右)通夜に駆け付けた元日本代表の前園真聖氏は「最初に名前を覚えたサッカー選手が釜本さんだった」。ブラジルを撃破した「マイアミの奇跡」を起こした1996年アトランタ五輪の際、「その28年前に世界を切り開いたメキシコ五輪の映像の何度も見て頑張れた」と回顧。自身が引退後にイベントなどで何度も共演して「サッカーに携わる仕事を一緒にやらせてもらったのは光栄でした。厳しいところもあるけど、非常にやさしい方でした」と追悼した。