「ON」と呼ばれ始めた1963、4年ごろ。川上哲治監督(中央)の背番号はまだ現役時代と同じ「16」で、65年に「77」に変えてから9連覇が始まった 巨人は1965―73年に9年連続で日本一になりました。口では簡単に言えますが、(プロ野球誕生から)100周年、150周年を迎えても、二度とできないんじゃないでしょうか。
ずっと強かったわけじゃありませんよ。3連覇(67年)から6連覇(70年)にかけては本当に強かったけど、7連覇(71年)以降は全然。投手力は、そんなにいい方じゃなかったですから。「エースのジョー」と呼ばれた城之内邦雄とかいましたけど、投手陣は今(2014年)の方がいい。
五回までリードを許して、六回以降に逆転する試合が多かったかな。巨人が最初からばかばか点を取っていたら、ファンはテレビなんか見ませんよ。9連覇できたのは「ON」がいたことが一つの要因ですが、「ON」を軸に、機動力を重視した組織的チームプレー「ドジャース戦法」を取り入れたことが大きかったですね。
レコードで音楽を聴いてくつろぐ川上哲治監督は就任1年目の61年、米フロリダ州ベロビーチのドジャータウンでキャンプを張りました。コーチ役は「ドジャース戦法」の生みの親であるアル・キャンパニス氏。僕はあこがれだった元ヤンキースのジョー・ディマジオ氏からもコーチを受け、感激しましたね。
《アル・キャンパニスは16年、ギリシャ・コス島出身。ニューヨーク大を卒業後、43年にドジャースでメジャーデビュー。二塁手として7試合に出場した。引退後はスカウトなどを務め、68年にゼネラルマネジャーに就任。チームは74、77、78、81年にワールドシリーズへ進出し、81年は世界一になった。87年に人種差別と疑われる発言を行い、その2日後に辞任した。98年、81歳で死去》
61年は6年ぶりの日本一。62年は4位ながら王(貞治)さんが38本塁打、85打点で2冠に輝き、「ON時代」がスタートしました。とはいえ、2人だけで勝てるわけではありません。チーム状態が悪いときに、ヒットエンドランや右打ちで走者を進め、無安打でも得点する野球が「ドジャース戦法」でした。
ある意味、管理野球です。しかられ役は僕と捕手の森昌彦(現祇晶)。僕には、叱られてもすぐに忘れる〝特技〟がありましたからね。63年も日本一になって、65年に9連覇が始まりました。(2014年12月3日付紙面に掲載)