ベンチの阪神・矢野監督(右)、佐藤輝が不振の中、どのようにチームを優勝に導けるか■強烈な思いが雑念やプレッシャーにもなる 古い話をして恐縮ですが、あれは1992年、阪神は中村勝広監督の下、最後まで野村克也監督率いるヤクルトと優勝争いを続け、最終的には67勝63敗2分けの2位に終わりました。逆に野村ヤクルトは69勝61敗1分けで優勝。ヤクルト監督としてノムさんは初優勝を飾り、その優勝が翌93年の連覇など都合4度のリーグ制覇、2度の日本一に結び付いたのです。逆に阪神は暗黒時代に逆戻り…。まさにその後の明と暗をクッキリと分けた92年の勝ち負けでしたね。
思い出されるのが、シーズン終盤に来ての中村監督の采配です。シーズン序盤からチームに勢いを与えた新庄に代打を送り、打撃コーチと一悶着(ひともんちゃく)あったかと思えば、天下分け目のヤクルトとの神宮決戦では先発ローテーションの軸だった湯舟を抑えで起用し、投手コーチの離反を招きました。
目の前にある「優勝」の二文字が励みにもなる一方で「勝ちたい」という強烈な思いが、雑念やプレッシャーにもなる。厳しい局面であればあるほど、監督采配によって、戦局やベンチのムードは180度変わってくるのです。10月戦線を迎え、なぜか92年のヤクルトとの死闘を思い出します。なので、矢野監督の采配、選手起用や戦術が今後の最大のポイントになる-と見るわけですね。
終盤に来ての矢野監督の采配にはさまざまな声が出ています。
「前半戦のように近本や中野ら機動力を駆使する場面が少ない。もっと選手を動かさないとダメだ」という声。「サンズやロハスがダメなら、高山や江越ら生え抜きの選手を起用してみたらいいのでは…」という声。「最後はやはり藤浪を1軍に上げて、起用してみたら…」という声。もう〝外野〟からは色んな声が飛んできています。これも人気球団の宿命でしょうか。
こうした声にひとつひとつ応える必要はありませんね。監督は自身の野球観を大事にして、チーム内の状況を最も知る者として、最善手を打ち続けるしかありません。その結果が「勝者」なのか「敗者」なのかで矢野監督は結果責任を負うだけのことです。
29年前のあの時、リーグ優勝を果たしていれば中村監督のその後の監督人生は大きく変わっていたでしょうし、野村監督の監督人生も大きく違っていたはずです。勝つか、負けるかで矢野監督の監督人生も大きく変わるでしょう。それほどの覚悟を持って、残り20試合に勝負を懸けてほしいものです。=毎週日曜掲載
植村 徹也(うえむら てつや) 1990(平成2年)年入社。サンケイスポーツ記者として阪神担当一筋。運動部長、局次長、編集局長、サンスポ特別記者、サンスポ代表補佐を経て産経新聞特別記者。阪神・野村克也監督招聘、星野仙一監督招聘を連続スクープ。