▼「自分で選ばせること」を大切に
佐藤家は祖父、父ともに医者だが、翔馬は水泳の道を選んだ。慶応中3年で初めてナショナル選手標準記録を突破。日本水連の強化選手に選出された頃だった。
「水泳を頑張りたい」
幼少期から、さまざまな分野で才能を伸ばしてきた佐藤が、この頃から何度も母の純子さんに思いを打ち明けるようになった。息子の意志が固いことを感じた純子さんは「ここまで頑張っているから、もう反対はできない」。男子平泳ぎで五輪2大会連続2冠の北島康介氏(38)の後継者といわれる天才スイマーの原点だ。
慶大商学部2年になった現在も、水泳と勉強を両立する。競技に軸足を置かず、文武両道を貫く佐藤は異彩を放つ。思考の根幹に、純子さんの教えがある。
幼児教育の講師経験がある純子さんが、大切にしてきたのは「自分で選ばせること」。そのために「(選択肢に)AとBがあって、親が選ばせたい方があるなら、選んでもらいたい方をより魅力的に映るようにもっていく」ことを心掛けた。
▼志願した慶応幼稚舎受験
生後5カ月から通ったベビースイミングは母の選択だったが、野球、サッカー、体操、陸上、絵画、ピアノなどの習い事は佐藤少年が「やりたい」と言い出した。小学校受験も同じ。通っていた幼稚園から、私立小学校の慶応幼稚舎を受験する子が多かった影響で、佐藤が「僕も行きたい」と志願した。
週末に試合が重なることも増え、習い事は一つ、また一つと絞る必要に迫られた。慶応幼稚舎3年のとき、佐藤の選択で、習い事は北島氏がかつて通った東京SCでの水泳一本に絞った。
全国大会に初出場したのが中学1年。その頃から練習が毎日に増え、勉強との両立が困難になりかけたが「自分がやりたいと言ったことなんだから、やりなさい」と純子さんは背中を押した。週2回、家庭教師をつけてサポートした。
学校には優秀な成績を出すスポーツ選手を進学で特別扱いするシステムはなかった。中学3年時、周囲から「水泳を優先したいなら他の強豪校でやれば」との声もあった。それでも、佐藤の「慶応に通いながら水泳をやりたい」との思いは揺るがなかった。
学校から東京SCに移動する地下鉄の車内での勉強は日課。昨秋、ブダペストで開催された国際リーグに参戦中も、現地時間深夜1時からオンラインで授業を受講した。帰国する機内では、オンラインで試験も受けた。
▼日本記録に肉薄!!金メダル候補に
競技では1月、北島康介杯の200メートル平泳ぎを2分6秒78で制した。2月のジャパン・オープンの同種目では、日本記録保持者の渡辺一平(23)=トヨタ自動車=との争いを制し、2分6秒74で優勝。2016年リオデジャネイロ五輪の金メダル相当の好タイムだ。日本競泳のお家芸といわれる平泳ぎで、東京五輪の金メダル候補に名乗りを上げた。
純子さんは「自分で選んだ道だから頑張れているのだと思う。目標に向かって頑張っている。頑張っている限りは応援したい」。伸び盛りの息子を温かく見守る。
佐藤は「4月の代表選考会も7月の東京五輪も良いタイムで優勝したい」と決意する。「北島2世」と呼ばれる新星が文武両道を貫き、金メダルに挑む。
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