1968年9月16日の中日戦でサンケイスポーツ・遠藤忠カメラマンが撮影したヘルメットを飛ばす長嶋氏。たとえ空振りでもファンは喜んだ よく「長嶋は天才だ」と言われましたが、僕は天才なんかじゃありません。絶好調の時はボールがドッジボールくらいに大きく見えたのは確かです。その状態を続けるため、不振時は調子を取り戻すために、ナイターが終わるとすぐに帰宅し、納得がいくまで庭でバットを振り続けました。
練習は人に見せるものではありません。僕のあこがれだったヤンキースのジョー・ディマジオも練習を見せないで、プレーでファンをわかせるスタイルでした。
《ジョー・ディマジオは1914年、米カリフォルニア出身の外野手。36年にメジャーデビューし、51年の引退までヤンキース一筋でプレー。首位打者、本塁打王、打点王を各2度獲得した。通算成績は打率・325、361本塁打、1537打点。41年には米大リーグ記録の56試合連続安打を樹立。54年に女優マリリン・モンローと結婚(同年に離婚)し、新婚旅行で来日した。99年、84歳で死去》
ファンの存在は、米大リーグの野球にあこがれた立大の2年生あたりから意識していたかな。どういうプレーをしたら喜んでくれるだろうと考え、自分なりにスローイングなどを研究していました。
バットを持たずに打席に立つ。敬遠への無言の抗議だった。ディマジオからは、たとえ大差で負けていても、グラウンドに立つ限りは最後まで全力プレーを怠らないことを学びました。球場に足を運んでくれるファンの中には、一生に一度の観戦という人もいるでしょう。
球場のファンも、テレビの前のファンも、投手と僕の対決を楽しみにしていますから、敬遠には腹が立ちましたね。3ボールになると、何度かバットを持たずに打席に入りました。無言の抗議です。バッテリーが外角高めへ大きく外した球を両手を伸ばして捉え、本塁打にしたこともありました。
《故意四球(敬遠)の通算最多(記録が残る55年以降)は王貞治(巨人)の427個。張本勲(東映など)が228個で続き、長嶋氏は3位の205個》
9連覇の初期は大リーガー用のヘルメットを着用していました。大きいから頭と接する前後に1センチほど遊びがあり、思い切り空振りをすると、その勢いでヘルメットが飛びます。ファンは空振りでも喜んでくれるのだと知りました。(2014年12月4日付紙面に掲載)