■5月14日 かつて「アジアの鉄人」といわれた陸上選手がいた。ハンマー投げの室伏広治の父重信…。いや、1960年ローマ五輪十種競技で銀メダルを獲得した台湾の楊伝広だ。独学で記録を伸ばしたが、あるとき「日本で指導を受け十種で世界一になりたい」と28年アムステルダム五輪三段跳びで優勝した織田幹雄に人を介して相談した。
しかし「日本に来い」と織田は言わなかった。「世界一になりたければアメリカに行きなさい」。楊はアドバイスに従ってUCLAに進み銀メダリストになり、その後世界記録樹立で世界一の夢を実現した。新聞記者でもあった織田は広い視野から海外の実情を見ていたのだ。
男子100メートルで日本選手2人目となる9秒台、9秒99をマークしたサニブラウン・ハキーム(20)も大きな志を抱いて2017年秋、米フロリダ大に進んだ。五輪メダリストを育てたコーチの指導で苦手のスタートを改良して走りを磨いた。「日本のコーチより細かく理にかなったスキルを教えてくれる」という本人の言葉が気にかかる。
「米国に行けば練習場の風のにおいも選手層の厚さも違う。コーチング以外にも選手を変えていく要素が多い」とある関係者。日本にいれば桐生祥秀、山県亮太らライバルとの勝ち負けが注目されがちだが、何よりも記録という大きな目標に雑音なしに突き進めるのも利点ではないか。
米オレゴンで練習しマラソンで日本記録を作った大迫傑にも同じことがいえる。成功例に刺激され海外に拠点を置く選手は今後増えるだろう。半世紀以上も前に織田はこうした時代を先取りしていた。日本のコーチたちはサニブラウンの言葉を真摯に受け止める必要がある。(今村忠)