ついにヤクルト・池山隆寛監督(59)が誕生し、10月15日の秋季練習で始動した。
もちろん個人的には、高津臣吾監督が就任したときもうれしかった。2021年に神戸で見た日本一の胴上げと、優勝監督インタビューの「感謝・感謝・感謝」は一生忘れられないほど感激した。しかし90年代のファンばかりか、当時の担当記者はみんな「池山ヤクルト」を待ちに待っていたはずだ。
私がヤクルト担当になった1994年オフ、すでにスター選手だった池山監督だが、担当記者と距離が近く、気さくな人柄に驚いた。FA残留を決めた契約更改後やユマキャンプ、宮崎・西都キャンプでは記者席までやってきて一緒にゲームに講じていた。ユマキャンプ後にはロサンゼルスで1泊し帰国したが、選手用ではなく報道陣用のバスに乗り込んでゲームをやっていたこともあった。こんな選手はその後の30年間でも見たことがない。
ヤクルト監督時代の野村克也さん(1993年10月27日撮影)1997年の日本シリーズ前のナイター練習。池山さんがゴミ箱に捨てたバットは、少しひびが入っただけで、素振り用としては十分使えるものだった。当時少年野球のコーチをやっていた私は事情を話し「これください」と頼むと「それなら、これ持っていけよ」と打撃練習で使ったばかりのバットにサインを入れ、ブンブン丸の象徴だった赤いリストバンドとともに手渡してくれた。そんな太っ腹な一面もある。
楽天監督時代の星野仙一さん(2014年7月24日撮影)「野村派」で「星野派」でもあったのもすごい。2006年に楽天監督に就任した野村克也さんに誘われ打撃コーチになったが、背番号は「77」。理由を聞くと「星野さんや」と即答した。
11年にヤクルトへ復帰したが、16年には星野仙一GMに招かれ再び楽天へ。「星野さんから『背番号77をつけてもいいぞ』といわれたけど、88番にしたわ」と代名詞の継承を認められたという。
星野さんは投手コーチだった与田剛さんか池山さんを梨田昌孝監督の後継者と考えていたとウワサされていた。ところが星野さんが亡くなると楽天に切られてしまう。
そんな池山さんをヤクルトファンは見捨てなかった。19年7月のヤクルトOB戦。あまりの池山人気に驚いた当時の衣笠剛球団社長が「野に放つには惜しい人材だ」とヤクルトに呼び戻した。
毎年1月に開催されるヤクルトOB会で、池山さんはヤクルト取材歴30年の私でもあまりよく知らないような古株のOBにも丁寧に対応。「池ちゃんを応援に西都に行くかな」と喜ばせていた。現在は他球団に移った球団スタッフも先日「池山さんは僕らみたいな末端の人間にも、すごくよくしてくれるので人望がある」と聞かされた。
10年ほど前のこと。「次の監督は誰?」とヤクルトのコーチと話題になると「池山さんでいいよ。池山さんはいい加減なところがあるけど、あの人のためなら、みんなが何とかしてやろうと思わせるところがある」と明かしたことがあった。