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【Deep Baseball】小早川毅彦氏「生まれ変わっても六大学を選ぶ」 東京六大学野球100周年企画/法大編

法大時代の自身の写真を手に撮影に応じる小早川毅彦氏

今年で創設100周年を迎えた東京六大学野球リーグは12日、春季リーグ戦が開幕する。各大学のOBにインタビューし、自校の伝統や同リーグへの思いなどに迫る企画がスタート。第1回は法大のOB会長を務める小早川毅彦氏(63)=サンケイスポーツ専属評論家=が登場する。1980年に入学してからの4年間で4度の優勝を経験。2年秋には戦後5人目の三冠王に輝くなど、豪快な打撃で神宮を沸かせたレジェンドにとって、東京六大学野球とは-。(取材構成・武田千怜)

――100年の歴史がある東京六大学リーグで通算46度の優勝を誇る法大。進学を決めた理由は

「私は広島出身で、広島といえば、鶴岡一人さん、山本一義さん、山本浩二さんら法政の人が多かった。広島商で(1973年夏に)全国優勝した主将の金光興二さん、投手の佃正樹さん、4番の楠原基さんも法政。私は広島商が好きだったから、大学にいくなら法政にいきたいなってね」

――1980年に入学。1年春から4番を担い、一塁手のベストナインに。2年秋には三冠王を獲得した。通算114安打は歴代11位タイ、通算16本塁打は同13位、通算72打点は同6位タイ。印象に残った対戦は

「最初の試合かな。立大の先発投手が1学年上の野口裕美さん(注①)。のちに西武にドラフト1位でいくわけですけど、当時の六大学で一番いい投手だった。やっぱりすごいボールを投げるなと」

――法大らしさとは

「自由かな。神宮に全員がそろってバスで来て、バスで帰る大学もある中、当時の法政は神宮球場に集合し、試合が終わったらそこで解散だった。ましてや他の大学は試合が終わった後にグラウンドに戻って練習をするところもあったが、私は一回もそういうことがなかった」

――80年代の法大は黄金時代。猛練習というわけではなかった

「一回、やばいなと思ったのは(2年春に)東大に負けたとき。鴨田監督が鬼のような形相をしていて、さすがに初めて学校に戻って練習があるかなと思ったけど、藤田信男先生(注②)がニコニコしながらロッカーに入ってきて『こういうこともあるよ。明日頑張ろう』と。その瞬間に監督の顔が戻って『明日頑張ろう』といつも通り解散した」

――監督として30年秋に法大を初優勝に導くなど「法政野球部の父」と呼ばれた藤田信男さんはどんな方だった

「とにかく基本。バランスを大事にする人だった。左右のバランス、上下のバランスをしっかりして、自分の体をうまくコントロールできて初めていいパフォーマンスができると言っていた」

――当時は監督でも部長でもないが、よくグラウンドにきていた

「私の印象では毎日、来ていた。信男さんの弟の省三さん(元監督)もしょっちゅうきていた。(信男さんが)トレーニングウエアを着ている姿をみたことがない。スーツできて、指導していた。ずっと付きっきりで指導してくれた。私が特別だったのかもしれないけど」

※注①野口裕美 1960(昭和35)年11月29日生まれ、鳥取出身。米子東高から立大。80年春のリーグ戦でシーズン戦後最多(当時)の96奪三振を記録。歴代12位の通算317奪三振。83年にドラフト1位で西武へ入団。NPB通算5試合、0勝0敗、防御率5・11。左投げ左打ち。

※注②藤田信男 1903(明治36)年1月9日生まれ。中国・天津市出身。29年から法大の監督となり、30年秋の東京六大学野球リーグで初優勝に導いた。40年まで監督を務め、計4度優勝。第1期の法大黄金時代を築き、後に部長も歴任した。87年に野球殿堂入り。弟の省三は41~49年に監督を担った。


――藤田さんの教えで大切にすること

「六大学野球は試合では勝敗はつくけど、勝ち負けの世界じゃない。勝っておごらず、負けて腐らず。絶えず相手をリスペクトしながらというのは、法政だけでなく、各大学がそうなんじゃないかな。(東京六大学が)『共存共栄』といわれるのはそういうことなのかな」

法大時代の小早川毅彦氏(1981年10月25日撮影)

――東京六大学が100周年を迎えた

「伝統は感じる。何よりも、土日に神宮球場を優先的に使えるのは、すごくぜいたくなこと。応援団、ブラスバンド、チアリーディングが一体となって、観戦にきた学生たちをリードしてくれて力になる。ありがたかったよね。卒業してからより恵まれているなとありがたみを感じる。100年歴史をつないできた先輩方に感謝しないといけない」

――OB会長として現在の学生をどう見る

「今は昔と比べて大変。大学生だから当然なんだけど、どの学校も授業が優先。しっかりとスケジュールを立てて、授業、練習など日々の生活を送っていかないといけない。私らの時代は練習だけ考えてやっていたからね。スケジュール管理が大変だと思いますね」

――これからの100年へ

「やっぱり盛り上がっていてほしい。(各校が)同じ大学の学生たちにしっかりと応援してもらえるようなリーグであってほしいと思います」

――小早川さんにとって東京六大学野球とは

「私にとっては、唯一無二だし、自分の家なのかなって感じがするね。そこから巣立っていった。野球はもちろん、人として成長させてもらったと思います」

――東京六大学野球でプレーできてよかった

「生まれ変わったとしても大学にいく。大学でしか味わえない経験があるので。もう一回、人生をやっても東京六大学野球を選ぶかな。今度は東大にいくかもしれないけど(笑)」

■小早川 毅彦(こばやかわ・たけひこ) 1961(昭和36)年11月15日生まれ、63歳。広島市出身。大阪・PL学園高では2年春、3年春の甲子園に出場。法大では1年春から4番を務め、4度の優勝に貢献。84年ドラフト2位で広島に入団し、新人王。主砲として活躍するも96年オフに戦力外通告を受け、ヤクルト移籍。97年開幕戦で3打席連続本塁打を放った。99年限りで引退し、解説者などを務め、2006-09年は広島の打撃コーチ。通算1431試合に出場し、打率・273(3997打数1093安打)、171本塁打、626打点。183センチ、93キロ(現役時)。右投げ左打ち。

★法大野球部

1915(大正4)年に正式に発足。17年にのちに東京六大学野球連盟となる、早大、慶大、明大による四大学リーグに加盟した。30年秋にリーグ初優勝を飾り、歴代2位の46度の優勝を誇る。全日本大学野球選手権は最多8度の制覇。ユニホームはアイボリーの地に、胸に紺色で「HOSEI」の文字が入っている。グラウンドは神奈川・川崎市木月に位置する。大島公一監督。

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