その翌日だった。中島は神奈川・相模原市の「ワールドウィング」を訪れ、迷わず入会した。「僕はドリブラーとして生きていきたい」。施設の松本貫志トレーナー(45)は、あどけないサッカー小僧が残した言葉を鮮明に覚えている。下半身の柔軟性を身につけてドリブルに生かそうと、当時所属した東京Vの下部組織の練習前に通うのが日課になった。
「少年時代から限界を決めない子。その姿勢はこちらが尊敬するくらい」と小沢コーチ。飽くなき向上心で成り上がった23歳の若武者が、新生西野ジャパンのキーマンになる。 (鈴木智紘)
★母に一戸建てプレゼント
母子家庭で育った中島は母への感謝を忘れない心優しい一面を持つ。個人技を磨く「クーバー・コーチング」はいわばサッカー塾。通う選手の大半が別のクラブチームに所属する。当時の中島は東京Vの下部組織でプレーしており、週に1度スクールに通った。レッスンは70~80分で月謝は8000円。東京・八王子市の実家から日野校まで3年間、母に送迎された。中島は高校3年の2012年に東京Vとプロ契約を結び、母に東京都内の一戸建てをプレゼントした。