一流スポーツ選手を育てた親や指導者が育成の極意を明かす「デキる選手の育て方2016」。最終回は今季オリックスのドラフト1位として活躍した吉田正尚外野手(23)のルーツに迫る。野球未経験者の父・正宏さん(57)の言葉とサポートが球界屈指のフルスイングの原点にあった。(取材・構成=小松真也)
1メートル73の小柄な体格をフルに使う。フォロースルーの際に体がCの字に反り返る姿は松井秀喜ら長距離砲の系譜を継ぐ。きれいな放物線は最下位にあえいだオリックスの希望の光になった。吉田正だ。1年目の今季、故障に泣いたものの、63試合に出場し、打率・290、10本塁打。原点には意外や意外、野球未経験者の父の存在があった。
「キャッチボールをしたのは覚えていますね。でも、野球をやってほしいとか何もなかったです。元気で人に迷惑をかけない子に育ってくれたらいいと思っていたぐらいで。みんなに『なんで、あんな子ができたんかね』といわれますよ」
父・正宏さんは苦笑いで回想する。吉田正が野球に興味を持ったきっかけは5歳のときに父としたキャッチボール。しかし、正宏さんは中学時代に陸上部に入っていたぐらいで、ほとんどスポーツと無縁だった。だから、野球に関しては本人の意見を尊重。ノータッチを貫いた。
【(1)助言は気持ちだけ】
「僕は野球が分からないので、何も言いません。ほんとに気持ちのことぐらいで…」
そういって謙遜するが、「その気持ち」の助言が大きかった。吉田正は3歳年上の兄・正仁さんを追い、保育園のときから地元の少年野球チームに通って、小学1年時に正式入部。代名詞のフルスイングはその頃から変わらないという。だが、決して恵まれた体格とはいえない。指導者から「そんなスイングではよくない」と、矯正を促されるのも仕方がなかった。それでも、正宏さんは言い続けた。
「思い切って振ればいい」
野球を知らない分、性格面を意識して、声をかけることを心がけた。「私は技術的なことは分からない。でも、とにかく遠くに飛ばしたい子でしたから。伸び伸びやらせたかった」。結果的に、豪快な一振りを武器に球界にムーブメントを起こそうとしている。父の後押しがなければ、現在の吉田正はなかったのかもしれない。
正宏さんのサポートはそれだけではなかった。吉田正は小学生のときから毎日、野球漬け。自宅に帰っても、兄とバットを振っていた。その光景を見て、裏庭の杉の木の間にホームセンターで購入したネットを張った。
【(2)飛ばし放題へ自宅を練習場に】
「本当にボールを飛ばそうとするから、ボールがなくなる。だから、私もやれることをやってあげたいな、と。近所の人に迷惑になってもいけませんからね」
冬になれば、積雪する土地柄。車庫にも防球ネットを設置した。時間があればトスを上げるなど、練習を手伝った。中学時代には帰宅後、午前0時前まで付き合ったこともあった。
「結果が出ないときほど練習していました。共働きで、なかなかかまってあげられなかったので、できるときには。私も楽しかったですよ」
実家にいまも保管されている、100球以上の硬式球。ボロボロになったボールが努力のほどを物語っている。
【(3)月イチでガス抜き外食】
正宏さんはその後も後方支援した。寮生活の敦賀気比高時代は月に1回、外食に誘って、ガス抜き。「目標は高く持ちなさい」。それだけ言うと、進路の口出しもしなかった。青学大の入寮式。吉田正は新入生のあいさつで「東都リーグを代表する選手になります」と宣言した。父の教えがしっかりと刻まれていた。そして、迎えた1年前の10月22日。携帯電話が鳴った。
「ドラフト1位で指名されたよ。ありがとう」
正宏さんは「あまり、そういうことを言わない子なのでうれしかったですね」と思い返した。息子はわかっていた。優しく見守り、野球経験ゼロのハンディを乗り越え、支えてくれたことを-。(終わり)
★台湾で修行
吉田正はシーズンの大半を故障離脱していたこともあり、実戦感覚を養うため、台湾で開催されているウインターリーグに参加中。9日のイースタン選抜戦で一発を放つなど、持ち前のパワーを見せつけている。シーズン後には、阪神にFA移籍した糸井から「期待している」と激励されるなど、猛牛軍団の期待のホープ。来季の飛躍がチーム上昇のカギを握る。
★足も飛ばし屋
父・正宏さんはプロ野球選手では小柄な部類に入る息子について「遺伝だと思います。私も1メートル73ぐらいですし、妻も1メートル50ほど。保育園のときは体が大きい方だったんですけどね」と述懐。それでも、小さい頃の思い出に「活発な子。スリッパ投げを競っていたときに、周りの子の3倍ぐらい飛ばしていました」と、蹴っても飛ばし屋だったことを振り返った。