秋季キャンプで特別臨時コーチの土井正博氏(右)と談笑する=中日ドラゴンズ屋内練習場(森本幸一撮影) 〈千葉市出身。野球一家に生まれて、小学2年から野球を始めた〉
プロ野球選手への憧れというより、3歳上の兄が地元のリトルリーグで野球をしていて、野球好きの父がコーチのような存在でした。当時はグラウンドをうろちょろしていただけですが、わが家では野球が家族のコミュニケーションでした。
当時から硬式球を使っていたので、体に当たると、とにかく痛くて…。「楽しかった」という思い出はあまりないです。でも、うまくできることがあると、「できないことができた」というか、一瞬の喜びを子供ながらにも感じる。もう一回やりたいと思って繰り返す。当時はプロ野球選手になれるとは思っていませんし、ぼんやりとした夢のようでした。
〈甲子園を目指して暁星国際高(千葉)に進学。しかし、春夏とも願いはかなわず、県大会でも本塁打はゼロだった〉
高校の五島卓道監督が、私が在籍した千葉西リトルシニアの1つ下の選手を見に来たんです。自分が目当てではなかったようですけど、「スポーツ推薦」の話をいただきました。中学時代からショートを手始めに、サードからセカンドに回り、キャッチャーもやりました。ライバルが多く、守備位置が次々と変わっていきました。当時は体つきもガリガリで、力がなく「フェン直」(フェンス直撃)が精いっぱいでした。
〈卒業後は名門・NTT関東でプレー。五島監督が「練習の虫」を何とかしようと必死に売り込んでくれたエピソードは有名だ〉
高校時代、非力で本塁打を1本も打てなかったのに「通算30本も打った選手」とまで言ってくれたんです。プロ入団が決まり、会食したときに監督から初めて明かされました。そこまでプッシュしてくれていたとは…。今となっては監督に感謝の言葉しかないです。
〈1997年、日本ハムにドラフト3位で入団。ルーキーイヤーから開幕1軍入りを果たした〉
どうすればプロ野球選手になれるのか、答えることは難しいと思っています。仮にスカウトから声がかかっていても、ドラフト会議で指名がかからないということもありますよね。自分の経験からアドバイスできることがあるとすれば、「これでもか」というぐらい、練習をやり尽くすしかないですね。
アマチュアといっても、どんなチームも勝つために戦っています。ある選手がプロに行くことばかり意識していれば、チームからはじかれてしまいます。ですから、プロを頭の片隅に置きつつ、目標と向上心を持ってアピールすることが大事です。やがてスカウトの目に留まり、取りたいと思われる選手になるということです。(聞き手 田中充)