まさか、自分が仏の黒江になるとは思わなかったよ。36歳で指導者となって以来、一貫して選手には厳しく、あえて嫌われ役に徹してきた僕が、あのミーティングを境に選手との接し方をガラリと変えたんだ。
2008年、69歳の僕は14年ぶりに西武に戻り、渡辺久信監督の下でヘッドコーチを務めた。シーズンインしてすぐ、三塁手のおかわりこと中村剛也がエラーして、続けて2試合落とした。反省の色が見えない中村を見て、「全員集合!」。選手をミーティングルームに集めた。
選手らは当然、僕がカミナリを落とすと覚悟し、神妙な顔で頭を垂れている。「中村!」。申し訳なさそうに顔を上げた中村と目と目が合った瞬間、僕はとんでもないことを言い始めていた。
「ごくろうさん、あのゴロは難しかったな。今までオマエのホームランで、チームはどれだけ勝っているんだ。気にするな。明日から、しっかり練習しような」
自分の言ったことに驚いた。いつもだったら「練習をいいかげんにやっているからエラーするんだ」と一喝していたに違いない。そのとき、少し前の苦い思いが、ふっと頭をよぎっていた。
僕には47歳のときにできた娘がいる。自分なりに大事に育ててきたつもりだ。その娘が二十歳を過ぎた頃から、たびたびお酒を飲んで夜遅く帰ってくるようになった。玄関から女房の注意している声が響いてくる。何度目だったろうか。さすがに目にあまり、怒鳴りつけた。「何時だと思っているんだ!」。その瞬間にパチンッ。初めて娘に手を上げていた。