よかれと思ってやったことが報われるとはかぎらない。僕は1972(昭和47)年から3年間、巨人とセ・リーグの選手会長を兼務した。まさか、これが現役引退を早めることにつながるとは思わなかったね。
取り組んだのが、年金問題、球宴・日本シリーズの出場給アップなど選手の待遇改善だ。当時の手当ては20年来変わっておらず、ひどいものだったよ。球宴の日当は1000円、出場給は1試合1万円。3試合で3万数千円しか、もらえない計算だ。華やかな球宴に出ても「足が出る」と選手はボヤいたものだ。
僕は顧問弁護士を雇い、銀行にも足しげく通って改革に取り組んだ。その甲斐あって、球宴の出場給は1万円から3万円、そして10万円まで引き上げることができた。選手らには感謝されたが、次第に周囲の空気が変わってきたんだな。当初は応援してくれていた球団の反応は冷たくなっていった。経営者側にしてみれば、僕は煙たい存在に違いないからね。
35歳で迎えた74年シーズン。現役引退を意識しながら、まだまだできるという自信はあった。しかしオフになっても、球団から契約更新の話はない。そのうち、太平洋から「コーチ兼任で」とトレードの打診があった。
新天地でプレーすることも考えていた矢先、太平洋から「この話はなかったことに」と連絡が入った。聞けば、僕の熱心な活動を伝え聞いた太平洋のフロントが、「黒江が来たら、とんでもないことになる」と警戒して白紙に戻したという。