1995年の契約更改交渉で、球団事務所にランボルギーニ・カウンタックで乗りつけた新庄 1993年、1軍投手コーチ時代の上田二朗氏㊨。左は中村勝広監督オフの球界を席巻している日本ハム・新庄剛志新監督(49)。その阪神時代を振り返る「タテジマでのビッグボス」の第3回は、17歳の入団当時からコーチとして、フロントとして見守った上田二朗氏(74)=本紙専属評論家=が登場。「田舎のプレスリーがホンモノのプレスリーになってしまった」と今も驚きを隠しきれない。
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田舎のプレスリー。その言葉がピッタリくる新庄の入団当時の姿だった。あの年(1990年)は、ドラフト1位の葛西が青森、2位の岡本が岡山、3位の麦倉が栃木、4位の古里と5位の新庄が福岡、6位の吉田浩が富山の出身。とにかく、全員が〝田舎っぺ〟。そろって線が細くてね。
1989年12月、入団発表に臨む新庄(左端)らところが、新庄だけは他の選手に比べると、何をしても目立った。オールバックがなぜが似合う。ジーパンにロングブーツ。これが目立つ。同期の子たちはジーパンに運動靴だったから。多分、本人は全く意識はしていなかっただろうが、後光が差している感じがした。全く活躍していないのに。ルーキーたちを食事に連れていっても、ひとり目立っていた。
投手コーチだった私は、担当外だった気楽さもあって「こいつは気を付けないといけないなぁ。すごい選手になるか、とんでもない悪になるか、育て方が難しい。紙一重かな」と話題にしていた記憶がある。もし、担当の麦倉、古里が同じような行動をしたら叱っていたかも(笑)。
92年に一気にブレークすると、すぐにカウンタックに乗って球団にやってきたり、チーム移動ではとんでもないファッションで現れたり。「やっぱりか」と思ったね。でも彼の場合は文句の付けようがない。成績が伴っていたから。まさに、プロ野球の世界だ。稼いだお金を、あそこまですぐにド派手な世界につぎ込むスタイルは、珍しかったけれど。
野球でもわれわれを黙らせるセンスの持ち主だった。打撃は最初はブンブン丸だったけれど、肩、守備範囲、脚力、どれも素晴らしかった。
内野ノックでショートの練習をしていたときの記憶が鮮明だ。新庄が待っている位置は、外野の芝生の上に入っていて、よ~く見たら、レフトのほんの少し手前。コーチが「そんな場所を守るショートはいないぞ」と注意しても、彼は肩に自信があるから、そこから動こうとしなかった。
今年11月のファンフェスティバルでカウンタックに乗って登場した新庄監督このタイプは、私の野球人生でも長嶋茂雄さんぐらいしか思いつかない。長嶋さんは対戦していても、とんでもない球を打たれたりした。〝勘ピューター〟長嶋さんと、成績をまともに比較はできないが、特別な華があって、特別な結果を生み出す点で似ている。タイガースOBで強いてあげるなら田淵幸一さんかな。とにかく、まれに見る存在だ。
もちろん、監督になるなんて、全く想像したことはなかった。田舎のプレスリーが、ホンモノのプレスリーになってしまったわけだ。けれど、人気者ゆえに苦労もしているし、内野も外野も経験しているし、二刀流までチャレンジしている。メジャーの世界も知っている。いい監督になってくれれば。期待? いや、心配しています(笑)。