11日に執り行われた「野村克也をしのぶ会」。阪神時代の野村克也さんのユニホームの下に花を投げ込んだ日本ハム・新庄剛志監督(左) 神宮球場で11日に行われた野村克也さんをしのぶ会には、多くの球界関係者が出席した。12月とは思えない陽気のなか、阪神・矢野監督やヤクルト・高津監督、日本ハムの新庄ビッグボスら教え子たちのなかに、フロントとして野村イズムを色濃く継承する阪神・嶌村球団本部長の姿もあった。
1999年から3年間、阪神監督を務めたときに専属広報としてサポート。野村さんが楽天監督になった2006年からは、阪神を退団して監督付広報を担った。「阪神3年、楽天4年で7年間、ご一緒させていただいて、毎日毎日が思い出でね。結構必死でやってたので。毎日がエピソード」と笑みを浮かべながら振り返った。
阪神・嶌村球団本部長名将・野村克也の教えを参考にする指揮官は多くいると思うが、球団運営の側面では嶌村球団本部長が保守本流ではないだろうか。
「(野村さんは)とっつきにくいおっさんみたいな感じは当然して、記者の方もなかなか初めはいきにくいとは思うけど、行ったら行ったでめちゃくちゃ面白い。味がある、優しい。参考にしながら、阪神タイガースとすればね、そういうフロントマンを持つというのはね。チームの方は矢野監督がしてくれるでしょう」
野村さんの残した教えが、グラウンドにも裏方にも、確かに息づいていた。(新里公章)