5月12日にパリロンシャン競馬場で行われたペリエ氏(中央)の引退セレモニー。仲間がステッキを掲げてアーチを作った(撮影・沢田康文) 競馬界のさまざまなことがらを深堀りする夏競馬企画『サマースペシャル 2024』。今回は世界的トップジョッキーとして活躍し、4月25日に現役引退したオリビエ・ペリエ元騎手(51)=フランス=の独占インタビューをお届けする。1989年にデビューし、世界各国で計3700勝以上。短期免許でJRAで騎乗する外国人騎手のさきがけとなった名手に引退の理由、日本の思い出などを聞いた。(聞き手・沢田康文)
――4月25日に現役引退。現在はどんな生活を
「スペインとの国境に近い南仏のバイヨンヌという地方に住んでいます。毎日忙しく、元気に暮らしています。週2回は馬に乗って競馬の調教にも騎乗していますが、レースが恋しいと思うことは一切ありません。騎手をやり切ったという気持ちがありますし、セカンドキャリアを見つけて、次の人生を楽しみたいと思っています」
ランゴン競馬場で追い切りに騎乗したあと、関係者と(左から2人目)。いまでも馬には定期的に乗っている。着ているのは角居厩舎のブルゾン(ペリエ氏提供)――引退の理由は
「決断したのは4月20日のレース後です。近年は騎乗依頼が明らかに減り、昨年はほとんど調教師からの電話が鳴ることがありませんでした(※1)。一緒に乗ってきた同世代の多くの仲間も引退して、昔のような楽しみがなくなってしまいました。どんなことにも終わりがあるし、年齢的にも潮時で、次のステップに進むときが来たことを、自分に言い聞かせました」
――調教師への転身は
「実は昨年、フランキー(デットーリ騎手、※2)に『(米国の)カリフォルニアに来て一緒に乗らないか?』と言われました。ありがたい話でしたが、私には5人の娘がいて、うち3人は8歳と、7歳の双子とまだ小さいので、現実的には難しい選択でした。今後も競馬界にとどまることは間違いありませんが、調教師になるつもりはありません。調教師はとても複雑な仕事ですし、私には性が合わないと思います」
――1994年に初来日。2009年まで毎年、短期免許で騎乗した
「日本は私にとって第二の故郷です。若い頃は『もっとうまくなりたい』という一心で、日本で本当に多くのことを学びました。例えばラップタイムを計るという考え方はフランスにはなく、体内時計が鍛えられました。騎乗に関してもフランスは調教師が指示を出しますが、日本では任されるケースがほとんどで、さまざまな展開のレースを体感し、経験を積むことができました。それに、ユタカ(武豊騎手)だけでなく、岡部幸雄(元騎手)さんや藤沢和雄(元調教師)さんのような尊敬すべきホースマンも多くいました」
――日本での思い出
「ベストホースはやはり、シンボリクリスエス(※3)です。天皇賞・秋や有馬記念の走りは強烈でした。漆黒の筋骨隆々としたきれいな馬体も好みで、次元が異なる能力を持っていました。有馬記念の後に行われた引退式では多くのファンが残ってくれて、幻想的な光景に感動しました。引退式は日本競馬の素晴らしい文化です。日本が大好きですし、もし30年前に通年免許制度(※4)があったら、今のクリストフ(ルメール騎手)のように、日本語を勉強してJRAの騎手になっていたでしょう」
2003年の有馬記念でコンビを組んだシンボリクリスエス。日本でのベストホースだった――改めてキャリアを振り返って
「自分が成し遂げたことを、とても誇りに思っています。本当に忘れられない瞬間がいくつもありました。優れた調教師や素晴らしい馬主と仕事をしてきました。世界中で友人となった人々との出会いも忘れられません。騎手の仕事は本当に楽しかったです」
――日本に来る予定は
「フランス競馬がシーズンオフの秋と冬にしか来日したことがないので、日本の桜を見ることが夢です。来春は競馬場にも必ず行きますので、友人やファンのみなさんと再会できることを楽しみにしています」
――武豊騎手とは長い付き合い
「ホワイトマズルなどに騎乗するため、頻繁に欧州に来ていたユタカと気心があって、すぐに友達になりました。ユタカは94年にスキーパラダイスのムーランドロンシャン賞で海外GⅠ初制覇を挙げましたが、あの時は彼の持っていた鞭がフランスの規定に合わず、私の鞭を貸してあげました。ちょうどJRAの短期免許制度が設立されたころで、相談したら父の武邦彦調教師を紹介してくれました」
2015年8月のシャーガーC(アスコット)で武豊騎手(右)と。尊敬する友人だ(撮影・沢田康文)――日本での経験で生きたことは
「本当に学ぶことが多かったです。例えば、96年の凱旋門賞。逃げる競馬はフランスのセオリーではないのですが、私はエリシオで逃げ切って、『日本で逃げという優秀な戦法を覚えてきました』とインタビューに答えました。ユタカもとても喜んでくれて、勝利を祝福してもらいました」
――C・ルメール騎手も旧知の仲
「ポニー競走に夢中になっていた私に、騎手にならないかと声をかけてくれた人がいました。それがクリストフの父で、当時障害騎手だったパトリス・ルメール氏です。家族ぐるみで交流していたので、クリストフは弟のようなもの。日本での活躍は素晴らしいですし、ユニークな騎手人生がうらやましいです」
――JRAではGⅠ12勝を含む通算379勝
「初めて来日した時、日本馬のレベルの高さに驚きました。日本で最初に重賞を勝ったのは、95年の金杯(西)。騎乗馬はワコーチカコで、ピンクのメンコがかわいい馬でした」
――GⅠ初制覇は00年のウイングアロー
「スタンドの〝ペリエコール〟には感激しました。ゼンノロブロイ、ジャングルポケット、ハットトリック、エアグルーヴ、スペシャルウィーク…。シンボリクリスエス以外にも、たくさんのいい馬に騎乗させてもらいました。私は初来日の際、ダート戦でサクラローレルにも騎乗して、その母ローラローラは私がデビュー時に所属した厩舎にいた馬なんです」
――世界中で活躍した
「騎手を志した時から、一流騎手になって世界中のビッグレースを勝ちたいと思っていました。日本だけではなく、アメリカ、カナダ、オーストラリア、香港、サウジアラビア、ドバイ、カタール、インド…。フランスではムチをあまり叩かないことを教えられてきたので、オーストラリアで初めて風車ムチを目の当たりにしたときは面食らいました」
――数々の名馬に騎乗。思い出は尽きない
「お手馬で最強だったのは、97年の凱旋門賞を勝ったパントレセレブルとBCマイル3連覇のゴルディコヴァ、騎乗したのは一度ですが、その〝キングジョージ〟が強烈なハービンジャーになると思います。ここに日本のシンボリクリスエスが加わります。英国では、ハイライズで英ダービーを勝ちました。エリザベス女王の所有馬ダートマスで勝てたロイヤルアスコット開催のハードウィックSも忘れられません」
■オリビエ・ペリエ(Olivier Peslier) 1973年1月12日生まれ、51歳。フランス出身。89年に騎手デビュー。凱旋門賞を96~98年に3連覇するなど計4勝。2012年にはソレミアで日本馬オルフェーヴルを撃破してV。96、97、99、2000年に仏リーディング。世界の大レースを制覇して今年4月25日に引退。94年に初来日し、JRA通算2292戦379勝(重賞はGⅠ12勝を含む39勝)。フランスでは通算2万1250戦2995勝(GⅠ94勝、GⅡ88勝、GⅢ185勝)。通算で3700勝以上(うちGⅠ165勝)を挙げている。
※1 2022年は367戦45勝、23年は161戦18勝、今年は引退まで23戦3勝だった。
※2 ランフランコ・デットーリ騎手(53)=イタリア。凱旋門賞6勝など数々の大レースを制覇した名ジョッキー。今年は米国を拠点にしている。
※3 美浦・藤沢和雄厩舎の管理馬で02、03年のJRA年度代表馬。GⅠ4勝のうち、02年有馬記念、03年天皇賞・秋、有馬記念と3勝をペリエ氏とのコンビで挙げた。
※4 期間が限られている短期免許と違い、JRAで年間を通じて騎乗できる免許制度。これを利用して2015年にクリストフ・ルメール騎手(フランス)、ミルコ・デムーロ騎手(イタリア)がJRA所属となった。
★初めて調教で騎乗した馬は「サクラフトシ」
ペリエ氏は1994年のヤングジョッキーズワールドチャンピオンシップで初来日。同年から短期免許を取得したが、その前から日本とは縁があった。「デビュー時に所属した厩舎に、『サクラ』の冠号で知られる全演植オーナーの所有馬がたくさんいて、私が初めて調教で騎乗した馬はサクラフトシという馬名の馬でした。もちろん、小島太(当時騎手)さんの名前から命名された馬です。それが私と日本の最初の縁。今思えば運命的なものがあったのかもしれません」と懐かしんだ。