令和初の甲子園、第101回全国高校野球選手権大会は、6日に開幕する。サンスポでは甲子園誕生95周年を記念し、プロ野球選手が聖地の思い出を語る特別企画「俺のアオハル甲子園」を全4回で連載。第3回は中京大中京高3年だった2009年夏にエース兼4番で全国制覇へ導いた広島・堂林翔太内野手(27)に聞いた。 (取材・構成=柏村翔)
09年8月24日、日本文理との決勝戦。エース兼4番としてチームを43年ぶりの夏制覇へ導いた堂林だったが、優勝インタビューでは「すいませんでした」と涙を流した。
「うれしさと悔しさの半々ですね。アルプスへあいさつに行った後、先生(大藤監督)に謝りました。自分から志願して、ああなってしまったので…。勝ったから良かったけれど、負けてたら何をいわれていたんだろうと」
この試合は「4番・投手」で先発出場。打撃では一回の先制2ランを含む3安打4打点と大活躍も、投手では六回無死一、二塁で降板した。
「3連投でした。肩はバリバリで打たれるだろうなという感じ。パンパンだったと覚えています。野手のことはまったく考えていなかった。試合を作らないといけないという気持ちでした」
しかし10-4と大量リードした八回終了後、九回の登板を志願した。
「高校でピッチャーは終わりと思っていた。肩と肘をけがしていたので。最後締めるためにお願いしました。最初は先生から『ダメだ』といわれました。少し時間が経って『キャッチボールをして来いよ』と。2アウトまでは、すんなりいったのですが…」
2死を奪ってから、あと1人が遠かった。
「(少し外野で肩を休めて)戻ったかなと思っていましたが、そうでもなかった。あと1人の状況で四球を出して、そこからでした。あのときのことを覚えていないですし、感覚がなかったですね。必死でした」
2適時打で10-6。ここで三塁方向への飛球を三塁・河合が見失い、ファウルゾーンに落ちた。
「終わったと思ったのですが、三塁手とボールの位置が全然違ったんですね。落ちる、落ちると思っていたら、そのまま落ちて。あれ、捕っていたらどうなるかなと思います。今でも、どんな終わり方になっていたのかなと思います」
直後に死球で一、三塁となり、大藤監督はタオルを投入。堂林は再び右翼の守備に就き、祈るように戦況を見つめた。
「(交代時は)何も言っていないですね。悔しくて、自分に腹がたっていましたね。相当、悔しかったです」