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【野村note】ノムさんが遺した野球を探る 中日・山本昌氏(後編)「僕が嫌な打順に嫌な打者を置いてくる」

山本昌氏について記された「野村note」

2020年に死去した野村克也さん(享年84)がヤクルトの監督として日本一に輝いた1993年のノートをライバルの証言でひもとく連載は、元中日投手・山本昌氏(60)の後編。この年は7勝0敗とヤクルトを最も苦しめた通算219勝左腕は、対戦して感じた野村采配の印象と、名将の意外な素顔を明かした。(取材構成・塚沢健太郎)

当時のヤクルトで苦手だった打者を聞くと、山本は意外な名前を即答した。

「嫌なのは土橋、橋上でした。前のカードに出ていないと『おー、ラッキー、ラッキー』と思っていたんですけど、僕の(投げる)ときは必ず出てくる。野村さんは僕が嫌な打順に嫌な打者を置いてくる。阪神(の監督)時代もそうでした。野村さんの采配といえば、そういったことがパッと頭に浮かんでくる」

レギュラーの外野手は左打者の荒井幸雄と秦真司。2人は左投手も苦にしなかったが、山本が嫌がっているのを気づいていたのか、野村はスタメンに右の巧打者を送った。野村noteに、山本の攻略法をこう記している。

「野村note」に目を通す山本昌氏。名将との戦いの日々を振り返った(撮影・塚沢健太郎)

バッティングの技術が問われる。ボールが少しずつ変化しているから、コネない。右手(利き手)をかぶせない。開かない

チーム打撃が得意で、野村理論を実践した土橋勝征は山本に対し、22打数5安打1打点(92年は8打数4安打1打点)、橋上秀樹は14打数4安打(92年は19打数5安打3打点、1本塁打)と起用に応えた。一方で池山隆寛は17打数、荒井は8打数、飯田哲也は6打数でいずれも無安打に抑えられている(秦は出場なし)。

「池山は同級生なので、意識して投げていました。古田も同級生ですけど、池山は高卒で一緒にプロへ入っていて(古田は社会人出身)、親しくもあったし。最初に出てきて活躍したひとりなので、打たれないように一生懸命頑張りました。あのときのヤクルトは打線もよかったし、両チームとも神宮とナゴヤで狭い球場だったので、低めに気をつけて投げていた。我慢していれば点を取ってくれるというのもありました」

野村は山本の攻略に執念を燃やし、カウント別の球種の傾向など細かく分析する。

(攻略法)

①ストレートの使い方を各打者研究せよ。そして、惑わされないこと。(ストレートは慎重に投げてくる。0-0、1-0、1-1、2-1。2-2では意表をついて)

②外角ストレートとシュートの緩急が基本(カーブ、スライダーはそれを幅広くするもの)。

③カーブはカウント球。0-2などで投げてくる。得点圏ではカーブは殆ど無し。

④その日によって、カーブ、スライダーが多い日。シュート系の多い日。ストレートの多い日がある。

⑤クセ‥ワインドアップで両腕が高く真っ直ぐ伸びたときはストレート。やや曲がっているとき変化球。上体が忙しく動いているときは変化球。静止しているときはストレート('92)。

「よく投球術とか、術中にハマったと言われましたけど、術ではなくてストライクの取り方だと思います。コントロールがいい方だったので、うまくやれたかなと思います」と山本は投球の極意を明かす。


1993年の山本昌は中村とのバッテリーで勝利を積み重ねた

当時は中村武志とバッテリーを組んだ。「考えているのは僕ではなく捕手。僕はほとんどサインに首を振ったことがない。どちらかというと、捕手のサインをくみ取って投げるタイプだった。ボールが欲しいんだろうなとか。ここはストライクが絶対欲しいよな、と思って組み立てをしていた。頭に入れていたのは、勝負が早い打者か、そうでないか。勝負が早い打者には少しボール気味に投げたり、厳しめに入ったり。その辺は上手にやっていた気がします」。

ヤクルトは92年の最終登板(10月3日、神宮)でKO(2回4失点)したあと、93年は山本から1勝もできなかった。94年の初登板(4月24日、福岡ドーム)も延長十回1失点で完投を許して負けたが、5月18日に神宮で1回4失点でKOし、ついに連敗を8で止めた。

「ごあいさつは必ずしたので、何回か隣に立ってお話しさせていただきました。連勝が止まった次の日の練習のときに『おい、山本』と声をかけられ『きのうの晩は赤飯食べたわ』と言われました。野村さんの下で1回やりたかったなと思っていました」

名将をそこまで喜ばせたほど、山本はリーグ連覇した野村ヤクルトを苦しめ続けた。=敬称略

■山本 昌(やまもと・まさ)本名・山本昌広。1965(昭和40)年8月11日生まれ、60歳。神奈川県出身。神奈川・日大藤沢高から84年にD5位で中日入団。最多勝(93、94、97年)、最優秀防御率(93年)、最多奪三振(97年)、沢村賞(94年)などのタイトル・表彰を獲得。2006年9月16日の阪神戦でノーヒットノーラン(41歳36日)、14年9月5日の阪神戦で勝利投手(49歳25日)、15年10月7日の広島戦で登板(50歳57日)は、いずれもNPB最年長記録。22年野球殿堂入り。通算581試合、219勝165敗5セーブ、防御率3・45。左投げ左打ち。

★ヤクルト戦は通算45勝

山本氏はヤクルトの本拠地神宮で42試合に投げて、通算14勝10敗。「神宮はマウンドがフカフカで、ちょっと低かった。投げやすい球場ではなかったけど、成績は悪くなかった」と振り返る。

ヤクルト戦は通算45勝23敗1セーブで、阪神戦の48勝26敗2セーブに次いで勝ち星が多い。「DeNA(35勝27敗1セーブ)は投げていないのもあるだろうけど、一番勝っていない。ヤクルトは強い時期があったので、90年代の中盤は巨人(43勝45敗1セーブ)、広島(44勝33敗)に集中して投げていたイメージ。2000年代は今度は阪神が強かったのでよく投げた」とエースの役割を果たし続けた。

※「野村note」は毎週木曜日のサンケイスポーツ紙面に掲載

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