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【野村note】ノムさんが遺した野球を探る 巨人・門奈哲寛氏(後編) グラブが開くとカーブは「味方からも指摘されたことはありません」

門奈氏のクセなどについて書かれた野村note

2020年に死去した野村克也さん(享年84)は、自らの野球理論をノートに書き残していた。「野村note」に登場するライバル球団の投手らが、野村さんが初の日本一に輝いた1993年当時を証言する企画は、巨人のルーキーだった門奈哲寛氏(55)の後編。6月9日の金沢でヤクルトの先発、伊藤智仁と球史に残る投手戦(試合は巨人が1―0でサヨナラ勝利)を演じたが、野村さんに丸裸にされた中で、九回途中4安打無失点の快投をみせていた。(取材構成・塚沢健太郎)

巨人・長嶋監督が復帰した1993年、ドラフト2位で入団した新戦力の左腕、門奈を野村noteは徹底解剖していた。

配球の傾向(捕手・吉原)

①打者一巡、前半ストレート主体

②後半、接戦、得点圏では変化球主体。追い込んでスクリューに頼る。ストレートは2球続くと、100%変化球。

けん制‥様子を伺うけん制だけ。うまくない。クイック投法もやっているが、それ程小さく、早いというものではない。サインを見終わって首に何かクセが出そうだ。5月1日は走者見たらセットした時ホーム90%。捕手を見たらセットした時にホームという傾向があった

「(真っすぐは3球続かないとの記述に)え~、本当ですか!? 全くそういうのは気にしていなかった。これも野村監督が気づいたんですかね。(当時巨人の)堀内コーチに首を振るなといわれていたので、全部捕手のサイン通りに投げていました。けん制は下手でした。その通りです」

クセもしっかり見破っていた。

5月26日(神宮)クセあり。セットポジション‥セットするまでにグラブの小指側が広がると100%カーブ。ストレートなし。グラブがそのままだとストレートまたはスクリュー

6月9日金沢、1x―0サヨナラ負け(篠塚のホームラン)

クセあり、ワインドアップ ストレート=頭のうしろまでグローブがすーとふりかぶるとストレート。大きく高く時々ふりかぶるが、これもストレート。

変化球=ゆっくりうしろまでいったり、一呼吸入れるとスクリュー。頭の上でワンクッション入れるとカーブ。

セット=ストレート=サインを見終わって、身体を大きく反動をとってセットに入るとストレート。

変化球=サインを見終わって、身体の動きが小さい時は変化球

野村noteには門奈のクセが詳細に記されている。それでも、あの日(6月9日)の門奈は、ヤクルトの先発、伊藤と投げ合い、九回途中無失点に抑えた。

「クセは当時から打者やベンチからの視点で、ムチャクチャ言われました。大学(日大)のときは言われたことがなく、1年目は特に気をつけていた部分ではありました。(グラブが開くとカーブは)これは初めて聞きました。味方からも指摘されたことはありません」

スクリューボールの握りを見せる門奈氏。野村ヤクルトの対戦を振り返った

しかし、野村noteでも気づかなかった、大きなポイントがあった。

「実は嫌だったのは左打者や古田さん。かわすスタイルだったので広沢さん、池山さんのように、ブンブン振ってくる人は逆にやりやすかった。ここには書かれていませんが、左打者にスクリューは投げなかった。(すっぽ抜けて)当たってしまいそうな意識が強くて、投げられなかった。言われて左にも投げるようになりましたが、自信を持って投げることはできなかった」


今でも左打者にチェンジアップなど落ちる球を投げない左腕は多い。プロ通算1勝の門奈は「打者は食い込んでくる球が嫌で、すごく効果があると引退してから知ったので、最初から投げればよかったと思いました」と悔やんだ。

あれだけの投球をすれば、普通なら次回もヤクルト戦で先発となるはず。ところが「当時は斎藤さん、桑田さん、槙原さん、宮本さんの強力4本柱。谷間でしか先発は回ってこなかった」。初勝利は93年9月23日の広島戦(広島)でこれがプロ7年で唯一の白星。あと1人で逃した完封も完投も達成できず、ヤクルト戦の先発もこの6月9日が最後だったのは残念だった。=敬称略

■門奈 哲寛(もんな・てつひろ) 1970(昭和45)年5月30日生まれ、55歳。静岡県出身。静岡・常葉菊川高、日大を経て93年ドラフト2位で巨人に入団した。通算44試合1勝3敗、防御率3・38で、99年限りで退団。2000年からオランダリーグ、クロアチアのクラブチーム、社会人野球のケイ・スポーツベースボールクラブに在籍し、06年からソフトバンクの通訳兼打撃投手などを務め、現在は2軍用具担当。現役時代は178センチ、80キロ。左投げ左打ち。

★クロアチア代表にも選出

1999年限りで巨人を退団した門奈は英語を学ぶため、ビザが取りやすかった欧州へと向かった。オランダのクラブチームに3年間所属。さらにクロアチアに移り3年間プレーし、代表チームにも選ばれた。

「僕も知らなかったんですけど、ヨーロッパには欧州選手権やいろんなトーナメントがありました」

2005年にソフトバンクからオファーがあり、通訳兼打撃投手として入団。ファルケンボーグ、ガトームソンら外国人投手をサポートした。その後は3軍の用具担当を経て、昨年から2軍の用具担当としてチームを支えている。

※「野村note」は毎週木曜日のサンケイスポーツ紙面に掲載

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