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【元虎番キャップ・稲見誠の話】「ナニクソを漢字で書けるか」顔面死球離脱の阪神・百崎蒼生に染みる2軍虎将の言葉…

7月20日のフレッシュオールスターの三回、左前打を放った阪神・百崎蒼生

こんな形で離脱を余儀なくされるとは想像できなかった。1日のウエスタン・オリックス戦(SGL)で阪神・百崎蒼生(ももさき・あおい)が顔面に死球を受けた。「下顎骨折における整復固定術」を終えて、13日に退院したことが発表された。

「シーズン終盤に手術ということになり、とても悔しい気持ちではありますが、この期間にたくさんの知識をつけて、またプレーできる日を楽しみに頑張りたいと思います。これからも温かいご声援をよろしくお願いします」

2024年、東海大星翔高(熊本)からD4位で入団。2年目の今季は首位打者も夢ではなかった。球団を通じて発表したコメントから、本人の思いが痛いほどわかる。だから、こういう時こそ…平田勝男2軍監督は選手に、よく問いかける。

「ナニクソを漢字で書けるか。何苦礎と書くんや。何事も苦しいことが、これからの人生の礎になるということ。これは、どの世界でも変われへんねん」

2023年から2年間の岡田彰布監督時代(現オーナー付オーナー)でヘッドコーチの経て、今季4度目のファーム監督の座に就いた。11年目の2軍虎将に突入した昨秋、鳴尾浜の室内練習場から打球音が聞こえてきた。百崎だった。

チームは藤川球児新監督のもと、高知・安芸での秋季キャンプ真っ最中だった。同期のD3位・山田脩也(仙台育英高)はメンバーに入った。1年先輩のD3位・井坪陽生(関東第一高)、D5位・戸井零士(天理高)も安芸で充実の汗を流した。21年D7位・高寺望夢(上田西高)、22年D7位・中川勇斗(京都国際高)の今季のブレークは、高知から始まった。

高卒選手が呼ばれる中、自分だけが漏れた。ナニクソを白球に込めて、打ち続けた。その姿を見たからこそ、平田2軍監督のスタンスは明確だ。失策するなど集中力に欠けたプレーがあった4月20日広島戦(SGL)では試合途中で交代させ、特守を命じた。反骨精神をあおった。

百崎は負けん気の強さで遠回りを余儀なくされたのは有名だ。熊本から東海大相模高に進学し、1年秋には「3番・遊撃」でレギュラーを勝ち取った。甲子園を意識するあまり、仲間への過度な要求が積み重なって衝突し、退学した。地元の東海大星翔高に転校したが、規定により1年間、公式戦は出場できなかった。3年時に停止が解かれて、チームを夏の甲子園に導き、秋のドラフト会議で、阪神から指名を受けた。「母には迷惑をかけ続けたので、恩返しをしたい」。夫は5歳の時に他界した。女手ひとつで育てた母親への孝行。その思いも、ナニクソ魂を支えている。

昨季の2軍成績は79試合出場で打率・185、1本塁打、10打点。今季は打率・294、1本塁打21打点。出場試合数「74」は離脱時で、秋季キャンプを経験したメンバーよりも多かった。9月11日の誕生日で20歳。右投げ右打ちで背番号は「56」。身長179センチ、体重74キロの身体には多くの可能性が秘められている。

一塁、二塁に三塁と遊撃。外野に目を向けてもも12球団随一のレベルの高さを誇る阪神野手陣に割って入るのは至難の業。それでも高寺や中川のように、ひとつのきっかけで変わる可能性がある。全てが数値化され、精神野球が影をひそめると同時に平成、令和を経て、死語となりつつある「何苦礎魂」。たまには甲子園のグラウンドで昭和のニオイを味わってみたい。

■稲見 誠(いなみ まこと) 1963年、大阪・東大阪市生まれ。89年に大阪サンスポに入社。大相撲などアマチュアスポーツを担当し、2001年から阪神キャップ。03年には18年ぶりのリーグ優勝を経験した。現在は大阪サンケイスポーツ企画委員。

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