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「日活三人娘」和泉雅子さん死去、77歳 日本人女性初の北極点到達、5月に倒れ7月9日に急変

北極点到達を達成した和泉雅子さん=1989年05月30日

日本人女性として初めて北極点に到達した冒険家で女優、和泉雅子さんが死去したことが18日、分かった。所属事務所によると、9日午後1時3分、原発不明がんのため自宅で息を引き取った。77歳だった。10~20代は青春映画で絶大な人気を誇り、歌手としても活躍。37歳だった1985年に「地球のてっぺんに立ちたい」と北極点踏破に挑み、1度は涙をのんだが、89年の再挑戦で成功。女性としては世界で2人目の偉業だった。

10代の頃はマコの愛称で親しまれ、青春映画で一世風靡。30代後半からは冒険家との〝二刀流〟で北極点踏破を成し遂げるなど、歴史に名を刻んだ和泉さんがひそかに天国へ旅立っていた。

所属事務所によると、5月に自宅で倒れ、入院。がんを患っており、退院後も自宅療養していたが、今月9日に容体が急変。帰らぬ人となった。葬儀・告別式は故人の遺志で生前葬を営んでいることから行わない。

和泉さんは子役時代に石原裕次郎さんを見いだした女優でプロデューサー、水の江滝子さんにスカウトされ、1961年に日活入り。「七人の挑戦者」で本格的に映画デビューした。

吉永小百合(80)、松原智恵子(80)と「日活三人娘」と呼ばれ、快活で愛らしい顔立ちからアイドル的な人気者に。雑誌「近代映画」の「オールスター投票・女優部門」では64年から5年連続でベスト10入りし、66、67年は小百合に次いで2位だった。


演技力でも高い評価を得た。63年の「非行少女」でエランドール新人賞を受賞。同作が金賞に輝いたモスクワ映画祭では審査員を務めたフランスの名優、ジャン・ギャバンから「この子はすごい」と絶賛されたほど。

歌手としても山内賢さんとのデュエット曲「二人の銀座」「東京ナイト」が大ヒットする多彩ぶりで、若者文化を象徴する存在だった。

女優業から冒険家として軸足を移す転機となったのは83年。テレビ東京のドキュメンタリーでリポーターとして南極を訪れ、人生観が変わった。

「地球のてっぺんに立ちたい」と85年に遠征隊を組織し、隊長として北極点到達に挑戦するも148キロを残して断念。翌年、米国人女性が成功したため世界初はかなわなかったが、89年の再挑戦で1回目に涙をのんだ同じ62日目に踏破した。

冒険旅行は往復1600キロにおよび、7キロも痩せて1億円の借金を背負ったが、帰国した際に雪焼けした顔で「太陽と氷の美しさに心打たれました」とVサイン。その姿は社会進出が声高にさけばれた女性たちに大きな希望を与えた。

■和泉 雅子(いずみ・まさこ) 1947(昭和22)年7月31日、東京・銀座生まれ。10歳で劇団若草に入団し子役に。61年に日活入りし、「非行少女」「エデンの海」「血と海」など多くの映画に出演した。山内賢さんとデュエットし、66年に「二人の銀座」、67年に「東京ナイト」がヒット。冒険家としては85年に北極点踏破初挑戦も途中断念。89年の2度目で成功した。北極には40回以上訪れている。並行してテレビや舞台で女優業も続けていた。

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