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【虎のソナタ】いつの時代も虎番は大雪とススキノに大はしゃぎ 3月上旬の北の大地は衝撃的

札幌ドームの外は雪化粧。最寄りの福住駅から歩くのも…ツライ=札幌ドーム(撮影・三浦幸太郎)

(オープン戦、日本ハム3-2阪神、2日、札幌D)札幌市営地下鉄「福住駅」から徒歩約10分で札幌ドームへ。2年前までは北海道でプロ野球開催の日に、ファンが、マスコミ関係者が、みんながたどった道のりを、トラ番サブキャップ・原田遼太郎が久々に歩いた。

ただ、爽やかな交流戦の時期にしか日本ハム戦を経験したことがなかった原田にとって、3月上旬の、大雪の北の大地は衝撃的だった。

「雪はずっと降っているし、足元は雪が積もっていて、歩道と車道の見極めがつきません。ようやくドームが見えてきたら、屋根の上にも雪が積もっていますし」

エスコンフィールドではなく、かつての本拠地・札幌ドーム開催になった今回のオープン戦。ドーム内も変化があったらしい。

「広告の数が減ったような気がします。何も書かれていないフェンスの部分が目立って、寂しくなってますね」

長年いた〝主〟が突然、いなくなると…ということなのだろう。

実は阪神は真弓監督時代の2010年、11年に計4試合、オープン戦の時期の札幌ドームを体験している。

10年も今回と同様、キャンプを打ち上げて、すぐに北海道にやってきた。日本ハムが梨田監督の時代。真弓監督と同い年の仲良しの縁で、阪神が〝ススキノ〟に呼んでもらえた、な~んてささやかれた。連れていってもらえた当時のトラ番たちは「ラッキー!」とはしゃいだものだ。あの時もドームの屋根の上には大量の雪が積もっていて、北国の雪のすごさを知らなかったトラ番は大はしゃぎした。


初戦は前年まで日本ハムのコーチで、その年の1月に亡くなった小林繁氏の追悼試合。タイガース史上、最も鮮烈な印象を残したサブマリンでもあった。かつての盟友に対する思いを語る真弓監督の姿が印象的だった。

翌11年は、東日本大震災直後に札幌ドームで戦っている。関東、東北が野球どころではなかった時期に、意外にも北海道は被害も少なく、普通に野球ができたのだ。

この年一番の話題は、日本ハム・斎藤佑樹のプロデビューだった。早実、早大でスター街道まっしぐらだったハンカチ王子が、初登板の相手に選んだのが阪神だった。

たかがオープン戦。だが、虎党にとって痛快な試合になる。

♪そうさ100%勇気…のあの軽快なメロディーがドームに響き渡る中、登場した佑ちゃんに対して、13安打を浴びせ、9点を奪って、プロの洗礼を浴びせたのだ。

気持ち良かったなぁ、あの日は…と思い出しながら、ちょっぴり心配をした。今度は、こちらの至宝・門別がひどい目に遭わないだろうか、と。

が、モノが違った。生まれ育った北の大地のマウンドで、十分すぎる合格ピッチを披露した。背番号「30」といえば、名遊撃手だった現ヘッドコーチ・平田勝男や、若き日のレジェンド守護神・藤川球児を思い出すが、たぶん、近い将来、猛虎の30番は、門別のモノになるだろう。次に来る札幌は「凱旋」であってもらいたい。そう確信した札幌ドームだった。

「北海道に着いた日は軽く札幌ラーメンだけにしたので、きょうは…」

宣言していたのは原田。ススキノでエネルギーを蓄えて!? ことし一年突っ走ろう!

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