年始のあいさつで難波の産経新聞社を訪れた阪神・四藤球団社長(右)と、産経新聞社・齋藤勉専務取締役大阪代表 今頃になってみなさまの肝臓、腎臓など内臓連合軍は年末年始の暴飲暴食族に対して逆襲に転じてくるのデス。こういう戦いは「応仁の乱」みたいに11年も跡目争いですったもんだやるようにケリがつかない。
1467年から11年間も山名宗全と細川勝元がダラダラとやりあった「応仁の乱」ですが、東軍(細川方)にかくまわれた足利義政・富子夫妻は御所に避難した時に別居する。それは土御門天皇と人妻富子の関係にあらぬウワサがたち、義政と富子は険悪になる。これがまぁ「偏狭な愛に燃えた妻」と「何事も消極的な夫」との悲劇…おいおい、何をウダウダ川端柳なんや? と思われるでしょうが、もう少し我慢しなはれ。もともと応仁の乱は二人に実子が生まれないから起きた「グズグズ内紛」。弟を天皇にしたらとたんに実子義尚が生まれて大もめ…1481年のこの1月6日に義政は家出して東山に別荘を建て暮らした。これが銀閣寺ダス。
その銀閣寺と阪神がどんな関係があんねん? となりますが、まぁ黙ってきいとくれやす。それでも結局、義政のヤケクソは京の東山文化を見事に開花させました。つまりどんなことでも変化の転機? であって、それが文化の興隆を招くちゅう話(わかってくれました? ああシンド)。