「俺の中で、監督というのはなかったな…」。西武・田辺徳雄監督(50)がポツリと漏らした。27日に辞意を表明したが、伊原春樹前監督(67)の休養がなければ、来年もコーチとしてユニホームを着ていたかもしれない。
「田辺さんは伊原さんが休養させられて、もらい事故のような形で監督を押しつけられた。フロントに起用法で口をはさまれ、自分の意見も通らず。泥だけをかぶせられた。気の毒だった」と同情する声が多い。
もちろん最終決定権は監督にあるが、投手起用は投手コーチに任せ、打順や作戦面は橋上作戦コーチが担当。8月に入り「チマチマ1点取っても投手が持ちこたえられない」とバントや小技などの作戦を度外視し、打ちまくる方針に転換すると、勝ち始めるという、皮肉な結果になった。
「もったいないよな。次の監督が誰になるか知らないけど。投手さえ整備すれば絶対勝てるのに」。
補強ポイントが投手であることは明確だったが、戦力の上積みはほとんどなし。ドラフトで8人の投手を獲得も、勝ち星を挙げたのは1位の多和田(7勝5敗)だけ。「中継ぎで一人でも、二人でもモノになれば」という首脳陣の期待は、もろくも崩れ去った。
さらに外国人投手は助っ人どころか足を引っ張りまくった。最後にウルフが4勝したが、他の3投手は0勝13敗。せめて外国人投手の成績が5割だったら、最後までCS出場を争っていたはずだ。
そして選手も、自由にやらせてくれた田辺監督に、結果で返すことができなかった。恐らく来年になれば、この2年半で自分たちがやってきたことの重大さを、思い知らされるだろう。
「一番楽しかったのは2軍打撃コーチ。だって好きなようにできるんだから」。
田辺監督は現役引退後、1年間解説者になり、2002年から西武の2軍コーチに。高卒で入団した中村、栗山、中島(現オリックス)らを指導した。22日のオリックス最終戦で中島が西武戦初アーチを放つと「ナカジが俺への惜別で打ってくれたよ」と目を細めた。
栗山が通算1500安打となる左前打で決めた際に「あそこへの打球は田辺さんと死ぬほど練習してきた」とコメントすると「俺も死ぬ思いで練習に付き合ったよ」と、しみじみ話した。
身を削って練習に付き合い、1軍に送り込んだという自負がある。ところが今の2軍には、下位指名の選手が育つような土壌がないという。そもそもこの2年半で2軍の首脳陣が田辺監督に「◯◯がいま調子いいですよ」と推薦したり、現状を報告に来たことは一度もなかったそうだ。
それでも監督代行だった14年も含め、3年間クライマックスシリーズに出場できず。責任を感じていることは聞いていた。