オリックス・仰木彬監督(中央)の就任会見に同席したオリックス・井箟重慶球団代表(左)、右はオリックス・宮内義彦オーナー=1993年10月19日
中嶋監督と握手をする宮内オーナー(中央奥) ギャラリーページで見るオリックス・宮内義彦オーナー(86)の今季限りでの退任を受け、元球団代表の井箟重慶氏(86)が21日、感謝のメッセージを寄せた。
正直、びっくりしました。宮内オーナーは野球が大好きな方ですから、
ずっと続けられるのかなと思っていましたから。
あの言葉だけは忘れられません。
「お客さんがゼロでもいい。オリックスが神戸で戦っている。それを見せることが大事なんだ」
1995年1月17日に阪神大震災が発生した後、東京から駆けつけたオーナーと、グリーンスタジアム神戸(現ほっともっとフィールド神戸)を視察しました。
グラウンドは大丈夫でしたが、地下鉄はまったく走れない状況で…。球場にきてくれるファンの足を思うと、私は本拠地を移転させて戦うことを提案したのですが、オーナーは頑として神戸にこだわりました。被災者の方を勇気づけたいという一心でリーグ優勝を達成したのでしょう。
普段は経営に非常に厳しい方です。「球団は会社の広告塔だけじゃない」と、よくおっしゃっていました。「プロ野球である以上、企業として、一日も早く黒字を目指しなさい」と。当時のプロ野球界は巨人戦の放映権が頼みの綱。当時は交流戦もなく、パ・リーグは苦しいだけに勝つことが一番だったのです。
だから負ければ、めちゃくちゃ怒られました。でも、オーナーは最後に必ずこう言うんですよ。
「これはオーナーとしての言葉じゃない。オリックスファンの言葉だ」
それを聞いた私は、いつも救われたような気持ちでした。25年ぶりのリーグ優勝を果たし、退任を決められたのでしょうね。長い間、お疲れさまでした。(元オリックス球団代表)
■井箟 重慶(いのう・しげよし) 1935(昭和10)年3月15日生まれ、86歳。岐阜県出身。上智大から59年に丸善石油入社。同大野球部監督や同社野球部マネジャーを務め、米国丸善石油副社長などを歴任。89年、オリックス常務就任。90~2000年に球団代表、01、02年に球団顧問、07~11年に球団アドバイザーを務めた。