西武の松坂大輔投手(41)が19日に、日本ハム・斎藤佑樹投手(33)が17日に、それぞれ引退登板を行った。甲子園からスーパースターになっていった彼らがマウンドに別れを告げる姿を見ていて、その〝誕生〟を誰より近くで見つめてきた阪神園芸・甲子園施設部長の金沢健児さん(54)に聞いた話を思い出した。
「やっぱり、今まで見ていた試合の中でもPLと横浜の試合は一番印象に残っているよね…」
1998年8月20日、延長十七回の激闘の末に横浜が9-7でPL学園を破ったあの準々決勝の一戦は、これまで数え切れないほどの試合を見守ってきた金沢さんにとっても特別な記憶だ。「そんなにずっと、ジッと試合を見ていられるわけじゃないんだけどね」と笑って振り返るが、スターがスターになっていった過程には必ずと言っていいほど「死闘」があり、金沢さんはその舞台を整えるために奮闘してきた。ときには必死で〝祈る〟こともあったという。
「最近になって、延長戦に入る前にも整備に入らせてもらうようになったんだけど。あのPLと横浜のころは、五回が終わったところで整備に入ったらそこからはもう整備はなかったんだよね」
当然のことだが、どれだけ丁寧に整備されたグラウンドにも回を追うごとに凸凹が現れてくる。整備する側とすれば、一球の重みが増してくる試合終盤や延長戦こそ、イレギュラーの心配がほぼないようなまっさらなグラウンドで戦わせてあげたいと願うところだが、当時の決まりではそれはかなわなかった。
「マー君と佑ちゃんのときも同じだったけど、延長でイレギュラー(バウンド)があったんだよね。ああいうのは忘れられない」
結果的に延長十五回の1-1引き分けで再試合となった2006年8月20日の早稲田実と駒大苫小牧の決勝では、延長十四回先頭で斎藤が放った二塁前方へのゴロが高く弾んでしまい、二塁手の頭上を越えて安打となる場面があった。得点と決着にはつながらなかったが、整備を〝したくてもできなかった〟金沢さんたちの胸は痛んでいた。
「もっと昔は試合前だけの整備だったから(延長十八回に及んだ1979年の)星稜と箕島の試合なんて一度も整備に入っていなかったんだけどね」
少しずつ時代が移っていき、高校野球の試合でも、審判員が水分補給をするためなどに五回終了時に整備ができるようになった。できることならば、筋書きのないドラマの結末にグラウンドが関与するようなことはあってほしくない。金沢さんは実感を込めて「だから(整備に入った直後で決着する)タイブレーク制度っていうのは、われわれにとってはありがたいんやけどね」と語る。
死闘はもう、今の甲子園では生まれにくいのかもしれない。聖地のあり方も時代とともに変わってきた。だからこそ、金沢さんが必死で整えようとした舞台での激戦を制し、主人公になっていった男たちの物語は、いつまでも色あせずに語り継がれていく。(長友孝輔)