【TOKYO2020+1カウントダウン】
体操男子で東京五輪代表の橋本大輝(19)=順大=は、持ち前の吸収力を生かしてエースへの階段を駆け上がってきた。出身クラブの佐原ジュニアは、廃校となった小学校の体育館が練習拠点。限られた環境下で「体操勘」を養った。クラブの山岸信行代表(65)の話を基に、成長の軌跡をたどった。(取材構成・鈴木智紘)
■バスケゴールからぶら下がるつり輪
「学ぶ」の語源は「まねぶ」。つまり「まねる」とされている。高校生や大学生が実施する技の模倣が、駆け出しの橋本の練習法だった。
小中学生の頃に通った佐原ジュニアは、廃校となった千葉・香取市の沢小学校を練習場とする。25メートルある跳馬の助走路は体育館の床面に収まらず、入り口の通路に5メートルほどはみ出る。つり輪は昇降式のバスケットゴールにロープがぶら下がる格好。ピットと呼ばれる着地の安全を守るための緩衝材を詰めた設備はない。
「中学生の頃は技をやりたい一心でした」。限られた環境が、6歳で競技を始めた橋本少年の向上心をかき立てた。学校が終わると5歳上の長兄・拓弥さん、3歳上の次兄・健吾さんと体育館へ。競い合いながら互いを高めた。
■「見る」「診る」「観る」
山岸代表は「3人ともやる気満々。遺伝子ですね。練習しろと言ったことはない」と懐かしむ。千葉・勝浦市の国際武道大や茨城・ひたちなか市の勝田工高に教え子を連れていき、充実の環境下で鍛錬を積ませたこともあった。
「その1日で絶対に技を覚える目的で行っていました。やり遂げるまで帰る気はなかった」と橋本。目上の選手の見よう見まねで技の習得に励み、臆せずに助言を求めて成長の糧とした。
山岸代表は東海大体操部出身。選手として伸び悩み、マネジャーに転身して練習の補助に回った。器具の下で選手の演技に目をこらし、着地の安全を確保した。技のリズムや実施姿勢を学び、「体操勘」を磨いた。