2021.5.21 12:00

【ベテラン記者コラム(148)】故坂井義則さんの弟、孝之さんが広島で聖火リレー

【ベテラン記者コラム(148)】

故坂井義則さんの弟、孝之さんが広島で聖火リレー

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聖火の点火式で「トーチキス」する坂井孝之さん(左)

聖火の点火式で「トーチキス」する坂井孝之さん(左)【拡大】

 東京五輪の聖火リレーの広島県での初日は、広島市の平和記念公園で行われた。広島県でも新型コロナウイルスの緊急事態宣言が発令されており、公道での走行は中止。走らずに聖火を受け渡すだけの「トーチキス」だった。もちろん無観客。雨が降る中、86人が4回に分けてトーチキスを行い、原爆資料館から原爆慰霊碑までの約100メートルをつないだ。

 最初に火を受けてスタートしたのは、1964年の東京五輪で点火者を務めた故坂井義則さんの弟、孝之さん(74)だった。坂井さんは2度目の東京五輪招致が決まった1年後の2014年9月、脳出血のため69歳で亡くなっており、孝之さんは「兄の代わりに五輪に関わりたい」とランナーに応募したそうだ。

 坂井さんはフジテレビのスポーツ局で主催マラソン大会の運営にあたっていたので、私は陸上競技を担当していたときからお世話になった。広島への原爆投下があった1945年8月6日に広島県三次市で生まれたこともあり、早大の短距離選手だった坂井さんが東京五輪の聖火リレーの最終走者に選ばれたのは有名だ。

 酒の席では当時の話を教えてもらった。聖火の点火者をめぐるスクープ合戦はすごかったという。特ダネを企図した某新聞社のヘリコプターに乗せられて連れ出され、旅館に匿われたとか。それを他社が問題にしたため、最終走者から外されそうになったとか。日本を挙げて熱狂した半世紀前の熱気が伝わってくる。いまも東京五輪を回顧する際には、必ず聖火に火をともす坂井青年の写真や映像が使われる。自身が五輪に出場する目標はかなわなかったが、「坂井義則」の名は金メダリストにも負けない知名度を誇っている。

 2013年1月には、東京五輪招致にあたっての企画で、坂井さんに旧国立競技場の聖火台に再びのぼっていただいた。19歳のときはさっそうと駆け上がった163段だが、「ちょっと休ませてくれ」と座席に腰かけて休むこと2回。前年に腎臓を摘出されていたこともあり、かなり体力が落ちていたようだった。長身痩躯。あまり食べずに酒を飲むから、心配していたものだった。

 その国立競技場も解体されたが、新装なった国立競技場は観客席の上部に木製の屋根をつけたため、聖火をともし続けることができないことが判明。遠く離れた江東区の有明に第2の聖火台を設置することになった。こうやって余計な経費がかさんでいったわけだ。その代わりと言ってはなんだが、かつて坂井さんが点火した聖火台は、新国立競技場の東側ゲート付近に“里帰り”して恒久展示されるそうだ。

 まさか2度目の東京五輪が国民の6、7割が開催に反対するほどの逆風にさらされるとは、坂井さんも思わなかっただろう。コロナが少し落ち着いたら、57年たった今も現役の聖火台を見に行き、思い出にひたってみるかな。(牧慈)