2021.4.29 12:00

【ベテラン記者コラム(138)】亡くなった元関脇麒麟児の“ぼやき”と「たかが一尺、されど一尺」

【ベテラン記者コラム(138)】

亡くなった元関脇麒麟児の“ぼやき”と「たかが一尺、されど一尺」

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死去した元関脇麒麟児

死去した元関脇麒麟児【拡大】

 MLB(米大リーグ機構)はさきに、提携する独立リーグのアトランティック・リーグでの今季の新ルールを発表し、シーズンの後半戦が始まる8月からマウンドのプレートをホームから1フィート(約30センチ)遠くに離し、61フィート6インチ(約18・8メートル)の間隔に変更するという。

 その理由は、打者に球を見極める時間を長く与え「空振りを減らし、バットに当てる機会が増えると見込める」。同リーグはロボット審判などの新ルールをいち早く実験的に導入。メジャーの試験的な存在で、将来の試金石となるかもしれない。

 大相撲の元関脇麒麟児で、激しい突っ張りで人気のあった先代北陣親方(本名垂沢和春さん、享年67)が3月に亡くなっていたことが、このほど日本相撲協会から発表された。親方時代に笑いながらこんなぼやきを聞いた。押し込みながら土俵際で逆転の突き落としなどを食うと「もうひと回り土俵が小さかったら、と恨めしく思ったこともあった。調子のいいときは土俵が小さく感じて、悪いと大きく感じたものだよ」。勝負の空間にはこうした妙味がある。

 大相撲にも土俵の変遷がある。江戸時代の延宝年間には直径「13尺(約3・94メートル)」の土俵が定まり、昭和6年4月の天覧相撲を機に現在の「15尺(約4・55メートル)」となった。そして、昭和20年秋場所(11月)ではこの場所に限り「16尺(約4・84メートル)」にされたことがあった。

 これは連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)からの本場所開催の条件だったという記述もある。「瞬間的勝負のだいご味を少しでも長く見たい」という娯楽色を強めた発想で、協会も同調した。ところが、不世出の大横綱双葉山は、拡大されたこの「16尺」の土俵に上がることはなかった。休場したこの秋場所千秋楽に引退を表明する。

 15尺の土俵で相撲道を極めた大横綱にとって、土俵拡大は進退の決断にも影響する大きな要因だったともいわれた。「何もない野原で組み合っていた相撲が、土俵という領域を与えられたことで技能を洗練させてきた」と自負をのぞかせ、引退を発表した際にはこんな一言も残した。「15尺の土俵で、精進を重ねて参ったのでありまして…」。力士会の反対もあり、16尺の土俵は1場所限りで15尺に戻された。

 力士の大型化に伴い、土俵を広くせよ、というのはやさしい。たかが一尺(約30センチ)、されど一尺。そのこだわりが、武闘から伝統の武道へ昇華させたと思えてならない。(奥村展也)