2021.4.15 12:00

【ベテラン記者コラム(133)】大相撲の大関復帰を決めた照ノ富士にみた「恥の文化」と人情芝居

【ベテラン記者コラム(133)】

大相撲の大関復帰を決めた照ノ富士にみた「恥の文化」と人情芝居

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大関再昇進を伝達された後、部屋の力士に祝福され笑顔の照ノ富士(代表撮影)

大関再昇進を伝達された後、部屋の力士に祝福され笑顔の照ノ富士(代表撮影)【拡大】

 3月の大相撲春場所後、照ノ富士(29)が21場所ぶりの大関復帰を決めた。同場所を12勝3敗で制して4場所ぶり3度目の優勝。「直近3場所を三役で33勝以上」とされる昇進の目安を上回る計36勝を挙げた。照ノ富士にとって、この数字には特別な思いがあったようで、強い口調でこう説明した。

 「いろんな声のなかに『どうせ師匠が(大関へ)上げるんだから』ということが出てくる。そうやって師匠の顔に泥を塗ることは絶対に許さない気持ちで臨んでいた」

 照ノ富士の師匠、伊勢ケ浜親方(60)=元横綱旭富士=は昇進を預かる審判部の部長を務める。横綱、大関の昇進問題は審判部が当該場所の千秋楽に昇進を諮る臨時理事会の招集を八角理事長(元横綱北勝海)に要請し、それが受諾される必要がある。照ノ富士にすれば、げすの勘繰りを排除する成績を挙げることは、弟子としての礼節だったのかもしれない。

 「恥をかかない」「恥をかかせない」。かつて、米国のルース・ベネディクトは「恥」の道徳律が内面化されている日本人の行動様式を「恥の文化」と伝えたが、モンゴル出身の照ノ富士の奥深さをみた気がした。

 平成27年夏場所後に新大関となり、29年九州場所で関脇に転落。両膝の手術や糖尿病などの内臓疾患で一時は序二段まで番付を下げた。何度も引退を申し出た照ノ富士に、師匠は「まずは体を治してから」と粘り強く説き伏せた。大関経験者が幕下以下で出場するのは史上初めてだったが、そこが奇跡的な復活の起点へとつながっていく。伊勢ケ浜一門のある親方は「(師匠への)気遣いを素直に口にした照ノ富士、そう思わせた親方の関係はうらやましい」。

 昭和7年1月6日。日本相撲協会の争議「春秋園事件」が起こった。当時大関だった能代潟は、協会脱退組(新興力士団へ参入する力士)から勧誘されるが、「自分は紙くず拾いになってでも師匠を養う。どんなことがあっても師匠のそばにいる」と脱退組の力士を追い返し、師匠の錦島親方(元関脇大蛇潟)を感激させた。このやりとりは大相撲の枠を超え、のちに新国劇が「錦島三太夫」という演目で人情芝居に仕立てた。

 「師弟は三世(さんぜ)」という。親子は互いに選べないこの世限りの「一世」のもの。夫婦は「二世」で来世にもつながるが、師弟の交わりは前世、現世、来世にまたがる深い因縁をさす。志を一つにした師弟関係は、尊い。(奥村展也)