【聖火が巡る】
東京五輪の聖火リレーは福島県のルート最終日となった27日、内陸部の自治体を進み、ランナーたちが県内のゴールとなる郡山市に向けて炎を運んだ。1964年東京五輪のマラソン銅メダリスト、故円谷幸吉さんの故郷、須賀川市では、ライバルだった君原健二さん(80)=68年メキシコ五輪のマラソン銀メダリスト=が走行。「円谷さんと一緒に」と故人の写真をユニホームの中に忍ばせ、熱い思いを全国に届けた。
日本中に感動を届けた円谷さんが27歳の若さで亡くなって53年。前回の東京五輪でともに日本代表として戦った君原さんが左手にトーチを掲げ、一歩一歩を踏みしめるように故人の故郷で約200メートルを走った。
ユニホームの下の肌着には円谷さんの写真。ランニングシューズは64年の東京五輪で故人が使用したものの復刻版をこの日のために用意した。地元の福岡県からもランナーの打診があったが、「円谷さんと一緒に走っている気になれる」と盟友の地元を選んだという。
円谷さんと親しくなったのは東京五輪前年の海外合宿だ。当初、メダルを期待されていたのは君原さんだったが、調整不良で8位に。一方の円谷さんは3位に入り、一躍国民的な英雄になった。
だが、結果的にそれが円谷さんの人生を変えた。ゴール直前、満員の国立競技場で2位から3位へ順位を落とした円谷さんは「4年後再びメダルを取る。それが国民との約束」と自らを追い込んだが、68年1月、「もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」と遺書を残して自殺。君原さんは「円谷さんのために走る」と誓い、同年のメキシコ五輪で銀メダルを獲得した。
須賀川市には毎年円谷さんの墓参に訪れ、350ミリリットルの缶ビールを半分飲んで、残りを墓にかける。東京五輪直前、互いに好記録を出したことをビールで祝った思い出にちなむ墓参りでの決まり事だ。
89年からは円谷さんの名を冠した須賀川市のマラソン大会に毎年出場。常々色紙には「友情は永遠なり」という言葉をしたためている。
この日、沿道には2人の関係を知る多くの市民が駆け付けた。君原さんは「一緒に聖火を運ぶこの日をずっと待っていた。今日は五輪に出たときと同じように感動しました」と晴れやかな表情で話した。