2021.3.19 12:00

【ベテラン記者コラム(122)】バスケ川崎、クラブとしての成長示した天皇杯

【ベテラン記者コラム(122)】

バスケ川崎、クラブとしての成長示した天皇杯

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Bリーグ発足後、初めてタイトルを獲得した川崎。篠山主将(中央)は天皇杯を頭上高く掲げた=さいたまスーパーアリーナ(日本バスケットボール協会提供)

Bリーグ発足後、初めてタイトルを獲得した川崎。篠山主将(中央)は天皇杯を頭上高く掲げた=さいたまスーパーアリーナ(日本バスケットボール協会提供)【拡大】

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 13日に行われたバスケットボール天皇杯全日本選手権決勝で、川崎が宇都宮を下して「日本一」のタイトルを手にした。取材していた私にも、感慨深い優勝劇だった。

 実業団の東芝時代に天皇杯を3度手にし、ナショナルリーグ(NBL)最終年度を制した川崎。だが2016年のBリーグ発足後は天皇杯とリーグ王座、どちらのタイトルにも手が届かずにきた。天皇杯では17年と昨年、決勝で敗れている。

 17年にはBリーグ初年度のチャンピオンシップ(CS)決勝にも進出、今回と同じ宇都宮(当時は栃木)に敗れた。この試合は中立地の東京・国立代々木競技場で行われたのに、客席の7割方が栃木のチームカラー、黄色に染められ、「アウェーのような感覚だった」と藤井祐真は振り返る。

 実業団時代の観戦者は職場の仲間を応援に来た人々が中心だったが、Bリーグ発足で地域密着型のプロクラブとしてスタート。初年度は試行錯誤の最中だった。当初は、ホームのとどろきアリーナの最寄り駅、武蔵小杉駅前で選手がチラシを配っても見向きもされなかった。熱心なブースターも少なく、場内演出も未熟だった。ところがCSに進出する頃には観客が増え、演出も格段の進歩を遂げていた。取材に行くたび、変わりっぷりに驚いた記憶がある。

 それでも、市民クラブとして栃木は一日の、いや二日、三日の長があった。CS決勝で7割方を栃木ファンに占められたのは、その表れ。当時、クラブのスタッフは「まだまだだと感じた」と、かみしめていた。

 タイトルを懸けた「決勝戦」で川崎と宇都宮が対戦したのは、それ以来だった。「最初のティップオフで、隣に遠藤(祐亮)がいて、『4年前もそうだったな』と思い出した」という辻直人は「あの時のリベンジができてうれしい」。

 今回は新型コロナウイルス対策で入場者数が制限され、大声での声援なども禁止されたが、観客席の黄色いウエアと、川崎の赤いウエアの数は互角だった。「Bリーグ1年目の決勝は今も印象に残っている」という篠山竜青主将は「クラブ全体で追いつけ追い越せでやってきた結果の広がりを感じる。今日、半分半分の(ファンの)中で勝てたのは、すごくうれしかった」と喜んだ。

 親会社が東芝からDeNAに代わるなどした4年間で、クラブとしても大きく成長した川崎。その象徴といえる天皇杯を中心に喜びを爆発させる選手、スタッフの姿に、心からお祝いの思いがこみ上げていた。(只木信昭)