2021.3.18 12:00

【ベテラン記者コラム(121)】コロナ禍の「辛抱」 大相撲の元中村親方(元関脇富士桜)の「我慢」とは

【ベテラン記者コラム(121)】

コロナ禍の「辛抱」 大相撲の元中村親方(元関脇富士桜)の「我慢」とは

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「突貫小僧」の異名で愛された富士桜

「突貫小僧」の異名で愛された富士桜【拡大】

 鬼がいるならば、きっと冷笑するに違いない。

 「桜は来年も咲くので、それを楽しみにしていただきたい」

 昨年3月下旬の定例会見で、東京都の小池百合子知事は拡大傾向が顕著だった新型コロナウイルス感染対策として花見は不要不急に当たるとして、自粛を訴えた。それから1年。コロナ感染は収束することなく、東京都心では14日に桜の開花を迎えた。

 日本には法定の国花はないが、国民に広く親しまれている桜が、慣例的に国の花とされている。日本相撲協会の徽章(きしょう)は桜の花をデザインしたもので、化粧まわしの意匠として使用されて土俵に彩りを添え、桜の字をしこ名に用いた力士も多い。

 昭和40年代後半から50年代にかけて激しい突き押し相撲で幕内で活躍、人気もあった力士に「富士桜」がいた。ひたむきで外連味(けれんみ)のない土俵姿は「突貫小僧」の異名を持ち、愛された。年配の相撲好きにとって、このしこ名を聞けば、すぐに「天覧相撲」と結びつく。

 昭和天皇も富士桜の土俵を好んだという。昭和50年夏場所8日目。互いに突き押しが得意で、それまでの対戦でも熱戦を繰り広げた麒麟児-富士桜の一番が組まれた。双方譲らず、それぞれ50発を超す激しい突っ張りをみせ、富士桜は口のなかを切って出血。最後は麒麟児が下がりながら上手を取り、上手投げで勝った。

 貴賓席から観戦していた昭和天皇は身を乗り出し、いつまでも拍手を送られた一番として語り継がれ、のちに天覧相撲の際には対戦が組まれる、とっておきの取組となった。

 現役引退後、富士桜は年寄「中村」を襲名し、高砂部屋から独立して中村部屋を興し、平成25年2月に協会を定年退職した。あるとき、中村親方と押し相撲の極意、奥義の話になった。

 「土俵上の姿だけみていては駄目だよ。攻められている力士が必死に我慢しているようにみえるよね。でもね、我慢とか辛抱というのは、残すことじゃない。押している方が引きたい、さばきたいという欲望を抑えて我慢して、我慢して押しているんだ」

 コロナ禍のなかで強いられる我慢、辛抱。立ち位置をかえると、また全く違った景色がみられるかもしれない。(奥村展也)