2021.3.15 12:00

【ベテラン記者コラム(120)】世界新記録から始まった苦悩 20キロ競歩の鈴木雄介が突然、消えた

【ベテラン記者コラム(120)】

世界新記録から始まった苦悩 20キロ競歩の鈴木雄介が突然、消えた

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男子50キロ競歩を制した鈴木雄介。東京五輪代表に決まった

男子50キロ競歩を制した鈴木雄介。東京五輪代表に決まった【拡大】

 主役が突然、消えた。2015年8月、北京で行われた陸上の世界選手権男子20キロ競歩で、先頭集団で歩みを進めていた世界記録(1時間16分36秒)保持者の鈴木雄介が腕でバツ印をつくり、コースを外れた。11キロ付近でまさかの途中棄権。かつてない期待を集めながら惨敗に終わった。

 「悔しい。期待してもらっていた中、こういう結果でふがいない」

 責任を背負い込み、涙を流した。ウオーミングアップの時点で炎症を抱えていた恥骨付近に痛みを感じ、10キロ過ぎには我慢できないほどになっていた。16年リオデジャネイロ五輪への影響を考えて苦渋の決断を下した。

 15年3月15日に故郷の石川・能美市で行われた全日本競歩能美大会で世界新記録をたたきだし一躍、話題の人となったが、その代償も大きかった。取材が殺到した4月まで、ほとんど練習できず。ストレッチや補強運動に時間を割けなかった影響で体の柔軟性が失われ、5月から恥骨の炎症に悩まされた。8月に入り、痛み止めの薬を服用した結果、今度は胃痛に襲われた。

 その後も恥骨の疲労骨折が癒えず、翌年3月のリオデジャネイロ五輪代表最終選考会も欠場。この間、治療に通っても改善せず、落ち込んで新たな治療先を捜すことを繰り返していた。

 「陸上を辞めて、普通に働くべきじゃないかと思ったこともある」。第二の人生も競歩に関わり続けたい。指導者になるためにも、けがを治す必要があると考え直した。グロインペイン症候群(鼠径部痛症候群)の治療実績が豊富な埼玉県の病院を紹介され、通院を始めたのは17年8月。そこでのリハビリが効果的だった。

 「競技をできる状況は以前は当たり前だったけど、一番幸せだと感じられるようになった」

 18年5月の東日本実業団選手権で約2年9カ月ぶりに実戦復帰を果たした。19年3月の全日本競歩能美大会で4位に終わり、主戦場としてきた20キロで世界選手権代表入りが絶望的となると、翌4月の日本選手権で50キロに初めて本格挑戦し、3時間39分7秒の日本新記録(当時)で優勝。東京五輪に目標を切り替え50キロで再び世界に挑み、9月の世界選手権(ドーハ)で初の金メダルを手にした。

 その後は慢性疲労が続き昨年4、5月はジョギングもままならない時期があったという。新型コロナウイルスの感染拡大で東京五輪が1年延期となったことで、万全の状態で臨むチャンスが生まれた。日本競歩界の悲願達成へ、過去の苦い経験を糧にする。(江坂勇始)